影で決まる未来――角福決戦と国民不在の政権継承(1970年代初頭)
1970年代初頭。新聞は「角福決戦」と書き立て 田中角栄か福田赳夫かという二択を国民に提示していた。しかしそれは あくまで「提示された選択肢」にすぎなかった。総理大臣が誰になるかは 投票所ではなく 自民党という密室で決められていた。国民の声は届かない。形式としての選挙がありながらも その実態は派閥と資金と談合による政治だった。
「国民全体の手で選ばれるならば 事態はもっと変わった」――ある論者のこの一言は 戦後日本が見落としてきた根源的な問題を突いている。民主主義とは何か。選ぶ自由が与えられながらも すでに決まった選択肢しかないとすれば それは果たして主権の行使と言えるのか。田中角栄が総裁に選ばれたのは 国民の信任というよりも 党内の論理と派閥の打算だった。
やがて角栄は「日本列島改造論」を掲げて国民の期待を一身に集めるが その政治手法はロッキード事件で頓挫する。だが 問題は人物ではなかった。首相がどう選ばれ 誰が本当に政権を握っているのかという制度の本質が問われていたのだ。
角福の争いが熱を帯びれば帯びるほど 国民の影は薄くなる。その冷たい構図が 戦後民主主義の限界を物語っていた。政権を選ぶ権利があるという幻想の下で 私たちはどれだけの時を眠ってきたのだろうか。
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