Saturday, May 17, 2025

小川町のバイオガスキャラバン―2003年という時代背景とともに

小川町のバイオガスキャラバン―2003年という時代背景とともに

2003年、日本では「循環型社会基本法」(2000年制定)や「バイオマス・ニッポン総合戦略」(2002年12月策定)を背景に、都市部から地方へ、廃棄物の再利用とエネルギー自立に向けた政策が広がりつつありました。ちょうどこの頃、環境省や農林水産省は「ごみゼロ社会」「持続可能な農村づくり」などの文脈で、バイオマス利用に注目し始めていました。

そんななか、埼玉県小川町で行われていた「バイオガスキャラバン」は、国策とは一線を画しながらも、その先を走るような存在でした。

この取り組みでは、畜産農家が出す畜ふんを使って、メタンガスを生成。これを燃料として利用し、家庭用プロパンガスの代替とする仕組みを、市民レベルで試行していたのです。ここで注目すべきは、「ローテクでも可能」という点です。高額な設備や大規模な投資を必要とせず、手作りの発酵装置と小規模な発電・ガス供給で成り立つ仕組みだったため、都市の大企業主導型ではなく、地方の住民自身が主体的に学び、作り、使うという実践的なエコロジー運動でした。

また、この取り組みが「キャラバン」と名付けられていた点も興味深いです。一か所で完結するのではなく、移動して各地で普及を促す姿勢がうかがえ、市民運動としての熱量と、学び合いの精神が濃厚に含まれていました。現地では小型の発酵装置やガス供給のデモンストレーションが行われ、地元の農家やNPO関係者、さらには都市部から参加した環境意識の高い市民などが交わる、いわば「移動する環境大学」でもあったのです。

このような活動は、冷静な技術的解説というよりも、どこか"語り"に近い口調で紹介されています。「牧場でふん尿を利用してガスを取り、家族がそれで湯を沸かしている」というようなエピソードには、経済合理性よりも人間味があり、また"農村における技術の文化的受容"という重要な問題提起も含まれていました。

小川町はこの時代、すでに有機農業や地域通貨などでも知られており、「環境にやさしい町づくり」のモデル地域と目されていました。つまり、バイオガスキャラバンは偶然の産物ではなく、小川町という土壌が育てた市民主体のエネルギー実践だったのです。

大きな制度や市場に依存せず、地域の循環に立脚しながら、未来のエネルギー像を模索していたこの活動は、2000年代初頭という時代の中で、一つの輝きを放っていました。ローテクゆえの自由さ、技術への親しみやすさ、そしてなによりも、「自分たちの手でエネルギーを生み出せる」という感動が、確かにそこにはあったのです。

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