赤木圭一郎・AGAIN―1977年、浅草で甦るスクリーンの亡霊
1977年春、浅草木馬館の舞台に立ち現れたのは、銀幕の記憶そのものだった。行田藤兵衛演出による前衛劇「赤木圭一郎・AGAIN」は、16年前に夭折した映画スター赤木圭一郎(通称トニー)の幻影を呼び戻し、戦後日本が作り上げた「若き英雄」像を根底から問い直す試みだった。
赤木圭一郎は1961年、日活の撮影所で事故死した。当時22歳。日活三人男の一人として石原裕次郎と並び、戦後の若者たちの憧れの的だった。彼の死は「青春の純粋な燃焼」として美化され、戦後社会における"悲劇的アイドル"の原型を作った。しかし1970年代後半、日本は高度成長の余韻を失い、芸能界もテレビ中心へと移りつつあった。そんな時代に、行田藤兵衛は「赤木の再生」を題材に選び、若者の偶像崇拝を鋭く風刺した。
舞台は抽象化された廃映画館。観客は暗闇の中で、赤木の映像、テープ音声、そして俳優たちの肉声を断片的に受け取る。鷹魚剛の電子音楽が流れ、大山六郎や戸辺淳らが観客に向かって「トニーを忘れるな」と叫ぶ。その瞬間、スクリーンと現実の境界が崩れ、観る者は"過去への憧憬"と"虚像への中毒"に揺さぶられる。
これは単なる追悼劇ではなかった。1970年代という、過去の記号が消費され、懐古がビジネス化していく時代への批評だった。浅草木馬館という場所もまた象徴的である。かつて大衆演劇と映画の聖地であった浅草は、当時、再開発の波の中で衰退し、古き文化の残響をかすかに留めていた。そこに"死者を再生する劇"を上演したこと自体、時代の皮肉であった。
観客の多くは混乱し、一部は熱狂した。演劇誌『テアトロ』では「戦後のノスタルジーを逆撫でする暴挙」と評され、一方『美術手帖』は「死とメディアの臨界を舞台化した実験」と称賛した。大衆文化と前衛芸術のあわいで揺れたこの作品は、やがて小劇場運動にも影響を与える。
赤木圭一郎という神話を再生させること、それは同時に戦後日本の青春幻想を葬る行為でもあった。テレビと商業映画が量産するアイドル像に対し、「再び立つ」ことの意味を問うこの作品は、記憶の演劇であり、虚構と現実の境を壊す祈りのような実験だった。浅草の木馬館にこだました"AGAIN"の響きは、若さそのものを舞台上で燃やし尽くした、70年代文化の象徴的瞬間であった。
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