Sunday, June 1, 2025

永田町に燃ゆる夢の残骸――ホテルニュージャパン火災の記憶 - 1982年2月

永田町に燃ゆる夢の残骸――ホテルニュージャパン火災の記憶 - 1982年2月

1982年2月8日 東京・永田町にあった高級ホテル「ホテルニュージャパン」で火災が発生した。この火事は深夜3時過ぎ 10階の一室から出火し 宿泊客33名が命を落とすという 日本の戦後史に残る大惨事となった。火元は外国人宿泊客が就寝中にタバコを放置した可能性が高いとされるが その背後には 安全対策の著しい欠如と経営側の怠慢があった。

ホテルにはスプリンクラーが設置されておらず 非常ベルは以前から誤作動が多く 火災当夜も鳴動していたが 宿泊客の多くが本物と認識せず避難しなかった。また 非常灯や誘導表示も作動しなかったため 多くの人々が煙に巻かれて命を落とした。東京都や消防当局は以前からこのホテルに対して繰り返し是正勧告を出していたが 経営難のなかで改善は先延ばしにされていた。

このホテルを経営していたのは かつて戦後の政財界で異彩を放った実業家 横井英樹である。横井はこの事件で業務上過失致死などの罪に問われ 後に有罪判決を受けた。ホテルニュージャパンは1970年の開業以来 永田町という立地もあり 国内外の要人も多く泊まったが 開業から十数年で その栄光は火災とともに崩れ去った。

奇しくもこの火災のわずか数日後には 日本航空350便が羽田沖で墜落するという別の大惨事も起き 1982年2月の日本は立て続けにショックを受けることになった。火災をきっかけに ホテルや旅館に対するスプリンクラーの設置義務化や消防法 建築基準法の強化が進められた。これは 企業経営者の責任と公共安全の関係が社会的に問われた転換点でもあった。

またこの火災には 避難後に忘れた財布を取りに戻って命を落とした客の話など 個別の悲劇も多数記録されている。事件後 ホテルの跡地にはプルデンシャルタワーが建てられ 現代のオフィス街の一角にその痕跡はほとんど残されていない。だが ホテルニュージャパンの名は 安全神話の崩壊と戦後の無責任経営の象徴として 今もなお語り継がれている。

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