「ツリーフリーの森から」―非木材紙の運動と日本環境財団(1998年9月)
1990年代後半、日本はバブル経済崩壊後の「失われた10年」の最中にありながら、市民運動や環境意識は逆に着実に根を張っていきました。リサイクルやエコ商品、そして持続可能なライフスタイルへの志向が高まり、「環境NGO」という言葉が社会に浸透し始めたのもこの頃です。
そのような時代のなかで、紙の原料を木材に頼らず、ケナフ(アオイ科の草本)やバガス(サトウキビの搾りかす)といった非木材資源で代替しようという運動が広がりを見せていました。背景には、熱帯雨林を中心とする世界的な森林減少への強い懸念があり、紙の大量消費によって間接的にその破壊に加担しているという自省が市民の中に生まれていました。
この非木材紙運動の核となったのが、「ツリーフリークラブ」と呼ばれる市民グループです。1977年に設立された「日本リサイクル運動市民の会」の中から、1994年にこのクラブは誕生しました。彼らは非木材紙の素材開発を印刷会社などと連携しつつ進め、製品化された紙に「ツリーフリーペーパー」と銘打って普及を図ります。
そして1998年4月、活動の公益性が認められ、財団法人「日本環境財団」へと移行。環境庁(現・環境省)所管の公益法人として、より広く社会に対して働きかける体制が整えられました。これは一市民運動が制度的承認を得た象徴的な出来事でもあります。
特に注目されるのが「ツリーフリー基金」の制度です。非木材紙の価格に1%の上乗せを行い、それを基金として蓄積。この資金をもとに植林事業や環境NGOへの助成を行う仕組みは、当時としては極めて革新的でした。いわば「消費によって生まれた環境負荷を、消費によって相殺する」という思想が制度化されていたのです。助成団体の選定も市民的で、年間10~20団体が採択され、1件当たり50万円程度が提供されていました。
この運動は、グリーンコンシューマー(環境配慮型消費者)という概念がようやく定着しつつあった1990年代の日本において、消費行動そのものが環境改善に資するという価値観を先導した例といえるでしょう。大量消費から脱却し、「どう作り、どう使い、どう戻すか」というライフサイクル的な思考が求められ始めた時代、非木材紙の運動は草の根からその思考を支えていたのです。
さらに、同財団の取り組みは単なる紙の代替素材の話にとどまらず、森林と人間社会の関係性を問い直す哲学的な問いかけにもつながっていました。木を切ることで得られる便利さと、森を守るという倫理とのあいだにある緊張関係――その折り合いをどうつけるか。ツリーフリー運動は、単なる技術解決ではなく、社会全体の価値転換を促す装置でもあったのです。
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