ベルクソン『創造的進化』第1章 ― 老化と個体の話
ベルクソンの『創造的進化』第1章の「老化と個体」の話なんですけれども。ここでいう「個体」というのは、人間とか科学によって構築された綺麗なものではなく、自然によって構成されたものであるという話です。
つまり、生命体が「老いる」ということなんですけれども、これは純粋な数学では説明できない、ということなんですね。実数を自然数で表せるかといえば、恐らくそうではない。
同じ時期にゲーデルが不完全性定理を示しましたが、あれも究極的には「実数は自然数で表せるか?」という問いに対して、「表せない」という立場に立っています。つまり、無限や予測不可能な領域と、有限で予測可能な領域が二つあるということが見えてきたわけです。
ただし、そうした境界や違いは、いまだに明確にはなっていません。ベルクソンの主張において重要なのは、「今」は実数的な連続であり、日常的に私たちが用いるような区切られた時間とは異なる、ということです。
ベルクソンが指摘するように、数学者の扱う世界というのは、瞬間ごとに切り取ることができる世界であって、デカルトが幾何学的想像について語ったときに前提としていたような時間構造です。デカルトやニュートンの時間観、つまり「ティック・ティック」と刻まれる時計的な時間というのは、生成されてはリセットされるだけの、蓄積のないものです。
しかし、「老化」という現象は、そうした非蓄積的なものではなく、実質的な実数の中で展開されます。だからこそ、数学的には説明できないのです。物質の劣化や分解と、老化という生命現象は本質的に異なる、とベルクソンは述べているのです。
たとえば「目がなぜできるのか」といった問いも、数学や科学では十分には説明しきれません。ベルクソンはこのような事例を、数学や物理学では捉えきれない生命的現象の象徴として語っているのです。
また、現在の状態を式で表すというのは、物理学的な「状態量」に関する話です。エネルギー保存則などもそうですね。
しかし、生物の存在を状態で見るということは、すでに流れの中から切り取られ、孤立化された後の姿に過ぎません。その前段にある「流れ」や「連続性」、つまり実数そのものは、状態の記述では捉えきれないのです。
ベルクソンは「ある瞬間の"直前の瞬間"など存在しない」と述べています。空間化された実数においては、一つ前の状態が現在を規定するという見方も可能ですが、それは既に空間的に整形された記号的理解にすぎません。
たとえば、山を考えたときに「標高」だけが問題とされ、「どのような経路で登ったか」が問われないといった場合、それは空間化された理解の例です。ベルクソンの考える実数的世界とは、そうではなく、瞬間ごとに切り取られず、流れとして実在するものであり、そこでは老化や生成の意味もまったく異なる文脈を持つのです。
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