燈火の檻にまどろむ――昭和四十九年 東京感覚記
1974年のあの頃、私は急速に変貌する東京の街の中で、言いようのない不安を抱えていた。アスファルトは日に日に地面の記憶を覆い、ガラス張りの建物が空の光を乱反射していた。土や木の匂いは後退し、代わりにプラスチックと排気の匂いが満ちていった。自然とともにあった季節感は、エアコンの温度設定に取って代わられ、私はどこかで感覚の芯を失っていくような気がしていた。
都市に暮らすということは、私にとって「見られることを前提に振る舞う」という奇妙な緊張の中に身を置くことだった。誰もが他人に無関心なふりをしているくせに、街はつねに他者の視線で満ちている。私は気づけば、自然体の自分を封印し、どこか演技めいた自己を身につけていた。駅のホームでも、カフェの椅子でも、私は"私を演じる私"を意識せずにはいられなかった。
この東京の感受性は、もはや風の匂いや陽の温度ではなく、ディスプレイに映る光景や、広告のキャッチコピーによって左右されていた。何かを見るたびに、それを「感じる」前に「選ぶ」ことが求められる。私はそんなふうに、自分の五感が、選択と消費のリズムにすっかり巻き取られていくのを感じた。美しいと思った瞬間、その美しさすら他人の評価基準で裏打ちされていないか、疑ってしまう。
そして私は、気づく。この都市には「どこか」がない。「ここ」が、かつて誰かの記憶に支えられていたような居場所ではなくなっていた。通り過ぎる建物にも、見上げる空にも、私を結びつける手触りがない。東京に棲むというのは、場所と断絶して生きることなのだ。どこにも根ざさず、どこにでも属せるふりをして漂う日々。その中で、私は「感じる力」を失いかけていた。
東京は私を解放してくれた。でも同時に、私から「感じるということの重み」を奪っていったのかもしれない。あの頃の私は、ただ光の檻の中で、自分の輪郭を確かめようと、透明な壁を手探りでなぞっていた。今にして思えば、それは感受性の最後のあがきだったのかもしれない。
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