「ベルクソンの『創造的進化』――徹底的な機械論、生物学と物理ー化学」
えーとですね。ベルクソンの『創造的進化』の代償として、徹底的な機械論と目的論の検討があるんですけれども、ここからですね、機械論と目的論の否定というか、制約を受けると、目的論的に生物進化を語れないという流れになっていくわけです。ちなみに次の次のセクションでは、「目的」の否定が扱われます。
第二、第三節が哲学の話になるんですけれども、少し前のセクションでも出てきましたが、実数と整数は違うということなんでしょうね。実数を英語でなんというか分かりませんが、「グラデーション」とか「連続性」という概念が丁寧に語られていました。つまり、整数で実数を表せないように、離散的な構造では連続を表現できないということです。
離散的な機械論では、現象を減少した離散空間にマッピングしたものであって、実質が持っているグラデーションや、各地点が無限に長いというような特性は扱えないのです。それはもちろんそうで、多分これはゲーデルが証明したことと通じる点があると思います。
さて、ベルクソンでいう機械論には二つ特徴があります。まず一つ目は「同じものは同じものを生む」という、ベルクソンの記述における回路の原理のようなもの。二つ目は「現在がすべてを含む」、つまり過去を全部現在が含んでいるという見方です。意識が過去の一部しか現在に繋げないのではなく、「1期前の状態」がすべてを語っているという立場です。
しかし、これは整数の世界(一次元の無限の世界)でしか成り立たない話で、現実世界では成り立ちません。機械論の前提では、「同じものは同じものを生む」「現在がすべてを持っている」ということになります。
ただし、「現在がすべてを持っている」というのにも多少語弊があります。ここでいう「現在」とは、「1期前の状態」で全てが語れるという意味ですね。そうなってしまうと、確認という概念を導入しない限り、「予測できないものはない」という結論になってしまう。
このような機械論では、生物進化はうまく説明できません。生物の形態や機能、すなわち進化は実数でしか表せないし、それらをすべて組み合わせるだけでも無限になってしまう。無限になるということは、予測や計算では扱えないということなんだと思います。
機械論の前提条件として、「同じものは同じものを生む」「1期前の状態で全てが語れる」「すべては当たられている」ということがありますが、現実の世界では現象は無限に繋がっており、一つの変化で全てを語ることはできないのです。
太陽系はどうなのか、という話もありますが、太陽系というのは自然から孤立しているようでいて、宇宙全体と繋がっています。生物という存在も、孤立した閉じたシステムではなく、どこかで必ず相互作用を持っている。だから、完全に自律的・閉鎖的に扱うことはできない、ということだと思います。
「フラクタル」や「非線形」といった概念が出てくる前、時間を全く考えなかった場合、古典的な幾何学のような世界観が古代人にはあったんですよね。なるほど、時間がなかった。その後、近代科学によって「時間」が出てきたけれども、それも独立変数としての時間であって、空間と切り離された、あるいは形式化された時間でした。
しかし、近年では「確率」や「フラクタル」といった概念が登場し、少しずつ自然の実存に近づくような数学が出てきたのではないでしょうか。いずれにせよ、機械論の枠組み、すなわち「同じものが同じものを生む」「1期前の状態ですべてが決定される」「すべては当たられている」という考え方では、生命を十分に説明できない。ベルクソンはそう言っているのだと思います。
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