うたかたの面影 遊郭文化が生んだ喜劇と哀感
落語お見立ては十八世紀末の大阪新町を舞台にした上方落語の古典であり、滑稽と哀感が巧みに交わる名作である。主人公の喜六は馴染みの遊女おぎんのもとへ訪れるが、楼主は今日は病気で会えない、代わりの女を見立てると言って取り合わない。しかし喜六は納得せず、どうしてもおぎんに会いたいと駄々をこね続ける。楼主は苦し紛れにおぎんの替え玉を仕立てて部屋へ通すが、その女は年増で声も容姿も似ても似つかぬ人物であった。
喜六はこれはおぎんではないと疑い続ける一方で、楼主は病気で声が変わった、薬でむくんでいるといった言い訳を次々に重ねてゆく。この虚構の連鎖は重ねるほどに滑稽さを増し、聞き手には楼主の必死さと喜六の鈍さが可笑しみとして響きわたる。やがて替え玉が思わず正体を漏らしてしまい、すべてが露見したところで噺は軽やかに幕を閉じる。
この噺の魅力は、遊郭制度に内在する虚実の境界が笑いへと転化されている点にある。本命の遊女に会えない客、商売を成り立たせようとする店、無理な見立てによる偽物の登場が自然な流れで喜劇の構造を形作っている。また近松門左衛門の悲劇的作品群の余韻が背景にほのかに流れ、遊女の労働の過酷さや客との情のすれ違いがにじみ出ることで、単なる滑稽噺にとどまらない奥行きが備わっている。
演者によって表情は大きく変わる。米朝は緻密な言い訳の積層で品の良い笑いを生み、ざこばは楼主の焦りを鋭く際立たせ、南光は喜六の滑稽味を増幅してテンポ良く進める。滑稽にも人情にも振れる構造ゆえに、噺家ごとの解釈によって複雑な味わいが生まれ続けている。
お見立ては虚構と現実の境界がずれ動く瞬間を巧みに捉え、十八世紀末の遊郭文化の陰影を笑いに変える力を備えた、落語史における確かな柱である。
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