川崎・工場緑地化政策の転換―1973年7月 工場緑地化の推進は、1970年代の日本における公害問題の深刻化を背景に登場した政策である。高度経済成長期には、工場の排煙・排水による環境汚染が社会問題化し、単なる規制だけでなく、空間そのものの改善が求められるようになった。その中で、工場敷地内に一定割合の緑地を設けるという発想が制度化され、「工場立地法」によって具体化されていく。 資料では、工場敷地の約20%を緑化する方向性が示されており、工場は単なる生産拠点から、周辺環境に配慮した施設へと再定義されている。緑地は景観の改善だけでなく、騒音の吸収、粉じんの抑制、さらには熱の緩和といった機能を持つ「緩衝帯」として位置づけられた。これは、公害を発生源で完全に抑えるのではなく、自然の力を活用して影響を和らげるという発想の転換でもあった。 さらに、この政策は産業構造にも影響を与えた。工場緑化の義務化に伴い、緑化樹木の供給や設計・施工を担う造園業界の需要が急増し、「グリーンビジネス」と呼ばれる新たな産業領域が形成されていく。資料にも、工場緑化樹木の安定供給や行政による推進体制の整備が記されており、政策・企業・産業が一体となって進められていたことがわかる。 WEB上の一般的な解説でも、工場立地法は「環境施設面積率(おおむね20%以上)」の確保を企業に求める制度として知られている。これは現在でも、大規模工場に対して緑地や環境施設の設置を義務づける仕組みとして機能しており、都市のヒートアイランド対策や景観形成にも寄与しているとされる。 このように工場緑地化は、公害対策から出発しながら、都市環境の質の向上、産業の再編、新しいビジネスの創出へとつながる、多層的な意味を持つ政策だったと言える。
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