Tuesday, May 5, 2026

東京近郊・生産緑地法の施行と都市農地の保全―1974年9月

東京近郊・生産緑地法の施行と都市農地の保全―1974年9月 生産緑地法の施行は、都市化によって失われつつあった農地を、都市環境の一部として守ろうとする政策である。資料では、1974年9月1日号に「生産緑地法がスタート」とあり、同時に「全国10ブロックに国営公園建設を計画」という見出しも並んでいる。つまりこの時期、都市の緑を公園だけでなく、農地も含めて保全しようとする発想が強まっていたことがわかる。 生産緑地法の背景には、都市周辺での急速な宅地化がある。高度経済成長期には、東京・大阪・名古屋などの大都市圏で人口が増え、農地が住宅地や道路、工場用地へ転用されていった。都市近郊の農地は、食料生産の場であると同時に、雨水を吸収する土地、風を通す空間、都市の過密をやわらげる緑地でもあったため、その消失は都市環境の悪化につながる問題と見なされた。 この制度の重要な点は、農地を単なる「将来の宅地候補」としてではなく、都市に必要な緑地機能を持つ空間として位置づけたことである。農地は、公園のように整備された公共施設ではないが、開けた土地として景観を保ち、災害時には避難空間や延焼を防ぐ緩衝地にもなり得る。その意味で、生産緑地は「農業」と「都市計画」の中間にある制度だった。 また、生産緑地法は、都市住民にとっても重要な意味を持っていた。都市の近くに農地が残ることで、地元で生産された野菜や果物を供給できるだけでなく、季節感や地域の景観を維持する効果もあった。都市が全面的にコンクリート化していく中で、農地は生活環境にうるおいを与える存在として再評価された。 一方で、この制度には難しさもあった。農地を保全するということは、土地所有者に対して開発や売却の自由を一定程度制限することでもある。そのため、税制、相続、土地価格、農業継続の意思など、多くの課題と結びついていた。制度としては都市環境保全を目指しながらも、実際には農家の経済事情や自治体の土地利用計画との調整が不可欠だった。 このように生産緑地法の施行は、都市の緑を「公園」だけでなく「農地」としても守ろうとした点に大きな意義がある。1970年代の都市緑化政策の中で、生産緑地は、食料生産、景観、防災、環境保全を結びつける制度として登場したのであり、都市と農業を対立させず、共存させようとする試みだったと言える。

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