Sunday, June 29, 2025

神に仕えた女たちの記憶 ― 遊女の起源と芸能の系譜 ―8世紀から平安初期―

神に仕えた女たちの記憶 ― 遊女の起源と芸能の系譜 ―8世紀から平安初期―

遊女の起源をたどると、その姿は、性を売る存在という後世の固定観念とは異なり、神聖な芸能者としての相貌にたどり着きます。『万葉集』に登場する「遊行女婦(あそびめ)」は、8世紀の貴族社会において、宴席に招かれて歌を詠み、舞を披露する女性たちでした。彼女たちは「うかれめ」とも呼ばれ、その名の通り、軽やかに地方を遊行しながら、文化と信仰の媒介者として振る舞っていたのです。

この遊行女婦のさらに遠い起源として挙げられるのが、「天宇受売命(あめのうずめのみこと)」という女神です。『古事記』において、天照大神が天岩戸に籠もり、世界が闇に包まれた際、天宇受売命が胸をはだけ、股間を露わにして踊り、神々を笑わせた場面は有名です。この神話は、性と笑いと芸能が不可分であった古代の宗教観を象徴しており、後の巫女や遊部(あそびべ)と呼ばれる芸能集団の祖とされています。

遊部は、4~5世紀頃の部民制度のもとで存在し、天皇の葬儀(殯宮)で儀礼的な舞や歌を行っていた女性たちでした。これらの女性たちは特権として、諸国の自由な通行が許されており、部曲制度の解体とともに、地方を巡る遊行女婦へと変容していったと考えられています。

当時の貴族社会(奈良~平安初期)は、一夫多妻制が一般的であり、性の享受や愛人関係に対する社会的寛容さがありました。そうした風潮の中で、遊行女婦が貴族の宴席で「現地妻」のような立場になることもありました。『万葉集』の中には、越中に赴任した大伴家持が、同僚の尾張少貳と遊行女婦を巡ってやりとりした歌もあり、性と政治、文化が交差する場面が記録されています。

このように、古代の遊女は「売春婦」ではなく、宗教的・文化的な職能を担った女性たちでした。彼女たちは神に仕え、歌い、踊ることを通して、信仰と芸能を人々の間に橋渡しする存在だったのです。性の交わりがあったとしても、それは貨幣経済の交換ではなく、もっと流動的な人間関係や信仰の文脈に包まれていたといえるでしょう。

このような起源を踏まえると、江戸期の「吉原の遊女」像とは大きく異なる原型が浮かび上がります。遊女とは、かつて神の言葉を踊りで伝える者だった――この事実は、彼女たちの歴史を一面的な視線では捉えきれないことを教えてくれます。

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