Monday, September 29, 2025

五木ひろし ― 昭和から平成へ、叙情を紡いだ国民的歌手 1970年代~2000年代

五木ひろし ― 昭和から平成へ、叙情を紡いだ国民的歌手 1970年代~2000年代

五木ひろし(本名 松山数夫、1948年福井県美方郡美浜町生まれ)は、戦後の地方から登場し、演歌と歌謡曲の両方で国民的歌手として愛され続けてきた存在である。高度経済成長が頂点に達し、人々が豊かさを求めながらも都会生活に孤独を抱くようになった1970年代初頭、彼の歌は庶民の心情を映す鏡として大きな共感を呼んだ。

1971年の「よこはま・たそがれ」でのデビューは鮮烈であった。港町の夜景と孤独を叙情的に描いたこの曲は、都会派演歌という新しいジャンルを確立し、五木の名を一躍全国に知らしめた。都会の哀愁を漂わせながらも洗練された旋律は、地方出身者が都市で生き抜く姿と重なり、当時の日本人に深い共鳴を与えた。その後も「夜空」「契り」「細雪」など数々のヒット曲を生み出し、とりわけ「契り」は1980年代を代表する楽曲として日本レコード大賞を受賞し、彼の地位を不動のものとした。

同世代の森進一が土臭く情念的な演歌を、また北島三郎が庶民の哀歓と演歌の力強さを体現したのに対し、五木はより都会的でスマートな表現を重んじた。彼の歌唱は力強さではなく、情緒と滑らかさに重点を置き、演歌とポップスの中間を巧みに歩むことで独自のポジションを築いた。その結果、彼は従来の演歌ファンに加え、広く一般層にも受け入れられた。

1980年代以降、演歌の人気が徐々に低下する中でも、五木はコンサート活動やメディア出演を通じて新たな挑戦を続けた。時代が昭和から平成へと移り変わる過程で、彼の歌は都会と地方、伝統と近代の間をつなぐ架け橋となり、日本人の心に寄り添い続けたのである。

五木ひろしは、その代表作を通じて時代の空気を映し出しながら、同世代の歌手とは異なる個性を放ち、昭和歌謡の終盤から平成歌謡の時代を生き抜いた国民的歌手として確固たる地位を築いた。

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