北見の黒い凍土 ― 一和会と稲川会の抗争史(1984〜1986年)
昭和59年、北海道北見市で「北見戦争」と呼ばれる抗争が勃発した。地元に根を下ろす一和会と、関東から進出する稲川会が歓楽街や建設利権をめぐり衝突したのである。1984年7月、稲川会側が一和会系事務所へ発砲したことを契機に緊張は高まり、翌年8月、花田組組長花田章が銃撃され死亡すると抗争は一気に拡大した。手打ちの試みもあったが、11月には稲川会星川組長が北見市内のキャバレーで射殺され、報復の連鎖は止まらなかった。12月には一和会側の幹部も相次いで狙撃され、市街地は恐怖の渦に包まれた。最終的に1986年1月、白老町虎杖浜の温泉宿で手打ちが成立し、2年近く続いた抗争は終結を迎えた。
この事件は全国で展開された山口組と一和会の抗争の一局面として位置づけられ、道内の暴力団勢力図を大きく揺るがした。同時に、炭鉱閉山後の地域経済の不安定さや歓楽街の利権構造が抗争の温床となったことも見逃せない。北見市は事件を契機に暴力追放協議会を設立し、市民運動として恒常化した点で大きな意味を持つ。花田章や星川組長ら主要人物の死は抗争の激烈さを象徴し、北海道社会に暴力排除の意識を強く刻む結果となった。
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