Thursday, January 1, 2026

お雇い外国人 檻の中から英語が来た――嘉永年間 外人ラナルドマクドナルド幽囚から教師へ

お雇い外国人 檻の中から英語が来た――嘉永年間 外人ラナルドマクドナルド幽囚から教師へ

嘉永年間の日本は、鎖国体制を維持しながらも、言語と知識の不足に直面していた時代である。異国船の来航が続き、幕府は相手の意図を読み取れない不安を募らせていた。とりわけ英語は決定的に不足しており、通詞の養成は急務であったが、制度はその速度に追いついていなかった。

外人ラナルドマクドナルドは、本来は通訳職を志し、日本語を学び、日本の内部から両世界をつなぐ役割を果たそうとして来日した人物である。しかし、漂着した彼を待っていたのは拘束であった。長崎奉行所の管理下に置かれ、自由な往来を許されない幽囚生活が始まる。彼は囚人でも賓客でもなく、制度の外側に置かれた曖昧な存在であった。

この閉ざされた状況に転機をもたらしたのが、通詞森山栄之助の判断である。森山は、英語能力の欠如が日本にとって致命的になり得ることを直感していた。幽囚者として目の前にいる外人は、危険でもあり、同時に貴重な資源でもあった。森山の依頼を受け、マクドナルドは拘束された身のまま、通詞たちに英語を教え始める。

ここで注目すべきは、マクドナルドが正式なお雇い外国人ではなかった点である。契約も地位もなく、身分の保証もない。それでも彼は、発音や会話、英文の読み方を丁寧に伝えた。教える行為は、彼にとって孤立した生活の中で知的な緊張を保つ手段であり、自らの存在意義を確かめる時間でもあった。

こうして始まった英語教育は、制度外でありながら実践的であった。机上の文法ではなく、生きた言葉が人から人へと渡されていく。拘束という不自由な環境が、逆に知識移転を促進する場となったのである。これは幕府の計画ではなく、現場の必要と個人の判断が生んだ成果であった。

幽囚から英語教師へと転じたマクドナルドの姿は、幕末日本の過渡期を象徴している。正式な枠組みが整う前に、知識は非公式な経路で流れ込み、人間関係の中で定着していった。檻の中にいた外人は、結果として日本初のアメリカ人英語教師となり、近代への扉の一端を静かに押し開けたのである。

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