ダムの時代は終わったという衝撃 1990年代半ば
1990年代半ば、「ダムの時代は終わった」という米国のダム行政責任者の発言は、日本の環境政策関係者や技術者に強い衝撃を与えた。それまでダムは、治水、利水、発電を同時に満たす近代国家の象徴であり、経済成長と国土開発を支える不可欠な装置と考えられてきた。とくに日本では、戦後の復興期から高度成長期にかけて、ダム建設は地域振興や雇用創出とも結びつき、公共事業の王道として正当化されてきた経緯がある。
しかし米国では、1980年代後半から、こうした前提が揺らぎ始めていた。河川を堰き止めることで生じる水質悪化、湿地や氾濫原の消失、魚類の回遊阻害、さらには先住民の生活や文化の破壊といった環境コストが、長年見過ごされてきたことへの反省が広がっていたのである。発言の背景には、ダム建設の便益だけを積み上げ、負の影響を十分に計算に入れてこなかった行政自身への自己批判があった。
この責任者は、行政の役割が新たに造ることから壊れた自然を回復させることへと移行したと語った。実際、米国では老朽化したダムの撤去や、河川生態系の再生を目的とした取り組みが始まっていた。ダムは永続的なインフラではなく、時代の条件によって役割を終える存在であるという認識が、政策の前提に置かれつつあった。
この発言が90年代半ばの日本で強く響いたのは、国内でも巨大インフラへの信仰が揺らぎ始めていたからである。バブル崩壊後、公共事業の費用対効果や環境負荷が問われ、開発そのものの意味が再考されつつあった。この言葉は、近代化と開発を無条件に肯定してきた思考様式そのものに向けられた警告として、当時の空気を象徴していた。
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