屈辱の看板、革命の炎──犬と中国人は入るべからず と戦後精神の断層(1900〜1970年代)
20世紀初頭、上海の外灘(バンド)公園にまつわるある伝説的な看板が、中国の近代史における民族的屈辱の象徴として語り継がれてきた。それが「犬と中国人は入るべからず」という言葉である。このフレーズは、「Dogs and Chinese not allowed」という英語表現として流布し、中国人が犬と同列に扱われていたという、植民地主義のもっとも露骨な差別の象徴とされている。実際のところ、看板にそのままの文言が書かれていた確たる証拠はないものの、当時の外国人専用公園では中国人の立ち入りが禁止されていたという規則は実在しており、それが民衆のあいだで凝縮された記憶として定着したと考えられている。
この看板の話は、中国人にとって単なるエピソードではなく、民族としての自尊心を踏みにじられた歴史の痛点であった。そして、その怒りと屈辱が、後に中国全土を巻き込む共産主義革命の原動力へと転化していく。中国革命は、よく毛沢東という個人の力によって成し遂げられたように語られるが、現場に近い人々の言葉によれば、それは「人民全体の熱情」であり、「宗教にも似た信仰のようなもの」だったという。国民ひとりひとりが「自分たちの国を取り戻す」という気持ちで動いた結果だったのだ。
これに対して日本の戦後はきわめて対照的である。敗戦後、GHQの指導のもとに憲法改正や選挙制度の改革が進められ、民主主義の枠組みは急速に整えられた。しかしその変化は多くの日本人にとって「自分たちで勝ち取った」という実感を伴うものではなかった。ある作家は、日比谷公園には「犬と日本人は入るべからず」という看板が立てられることはなかったと語り、それを「日本人がそこまで深く辱められなかった証左」としている。だからこそ、日本人には中国人のような怒りもなく、革命のような社会変動も、自らの魂から噴き上がるものにはなり得なかったのだ。
記者はそのことを録音テープを聞き返しながら思い返す。中国人があの看板の下で顔を上げ、誇りを取り戻そうと革命に突き進んだのに対し、日本人は何となく民主主義を受け取り、やがて冷蔵庫やテレビを幸福の象徴とする社会へと移っていった。作家は、銀座のジャズ喫茶で氷を鳴らしながら語る。「中国人は誇りを取り戻した。我々は、革命をしたようで、何もしなかった」。それは自嘲でもあり、ある種の警鐘でもあった。
一方で、世界をまたにかける貿易商はこう語る。彼は上海の市場で中国人の若者たちが胸を張って自国の製品を並べている姿に接し、密かに敗北感を覚えたという。「あいつら、あの看板を忘れてないんだよ。だからあそこまで燃えられる」。日本は商業的には成功した。だが、それは魂の回復ではなかった。「商売に誇りは必要だが、誇りそのものは数字には出ない」と、彼はグラスを置いた。
このように、「犬と中国人は入るべからず」という言葉は、単なる過去の差別表現ではなく、中国の近代革命精神の起点となり、現在も民族意識の奥深くに生き続けている。そしてそれは、日本の戦後との精神的コントラストを浮かび上がらせる鏡でもある。与えられた自由と、奪い返した尊厳。その違いを私たちは、いま一度見つめ直す必要があるのではないか。この看板は、歴史を忘れがちな現代にこそ、静かに問いかけているのだ。
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