静かなる支配者―堀政夫と昭和裏社会の影法師(1970年代〜1980年代)
堀政夫(ほり・まさお)は、昭和戦後期の裏社会において、関東最大級の暴力団組織・住吉連合会(のちの住吉会)を束ねた伝説的な首領である。彼が組織の頂点に立った1970年代から1980年代にかけて、住吉連合は緩やかな連合体から、より統制の取れた一大勢力へと進化を遂げた。その中心にいた堀は、決して声を荒らげることなく、しかし圧倒的な威圧と気迫で周囲を支配した"沈黙のカリスマ"だった。
堀政夫の統率は、暴力や恐怖によるものではなかった。彼は信義と沈黙、そして人を見る目と調整力で物事を動かした。構成員はもちろん、他団体の親分、政界、経済界、右翼までをも彼の影響下に置いた。表社会と裏社会をまたぐ深い人脈は、彼を単なる「ヤクザの親分」ではなく、昭和の影法師として知らしめることとなる。
中でも堀の存在感を際立たせたのが、日本青年社の会長・衛藤豊久との強い絆である。衛藤は行動派右翼のカリスマとして街宣車を駆り、国家論を唱える表舞台の人間だった。対して堀はその背後に静かに控え、必要なときにだけその力を行使する、まさに"裏の顔"であった。二人の関係は「表の衛藤、裏の堀」と称され、沖縄の土地利権問題をはじめとする国家的事案にも共に関与し、表裏一体の共闘関係を築いた。
その関係性を象徴するのが、ある組内の対立を巡る逸話である。堀の方針に異を唱えた有力幹部が現れたとき、堀は腕力や制裁で抑えるのではなく、衛藤を呼び寄せた。会合の場で衛藤が放った一言で、硬直した空気は一変し、幹部は沈黙。以後、組内に堀への反発は起きなかった。これは「堀政夫、任侠人をも言葉で制す」として語り継がれ、堀の人物像と人間関係の妙を象徴する逸話となった。
堀政夫は死後もなお、住吉会の内部で"あの人の時代"と懐かしまれる存在である。力よりも静けさを、怒声よりも眼差しを、自己主張よりも人心の機微を重んじた堀の統治は、暴力団という枠組みを超えた"人間の器"の表れであった。昭和という時代の裏側に確かに存在した、静かなる支配者。その名は、今もなお風のように語り継がれている。
No comments:
Post a Comment