Tuesday, March 18, 2025

塩と甘さの境界線──海軍炊事の実態(1940年代)

塩と甘さの境界線──海軍炊事の実態(1940年代)

海軍における炊事は、単なる料理ではなく、緻密な計算と厳格な規律のもとで行われていた。特に炊飯や汁物の作り方には、現代の家庭料理とは異なる独自の手法が用いられていた。

まず、炊飯においては、一般的な家庭のように水から炊くのではなく、一度水を沸騰させてから米麦を投入する方式が採られていた。家庭では新米・古米の違いによって水加減を調整するが、海軍の炊事ではそれが許されず、一律に決められた水量が用いられた。その目安は「手のくるぶしの上くらいまで」とされており、さらに水加減を測る際には長い柄のついた鉄製のお玉「スッポン」を使い、釜の中央に穴を掘ることで湯の対流を均等にする工夫がなされていた。これは、熱が偏ることで炊きむらができるのを防ぐためである。この穴を作る工程を怠ると、炊きあがった飯の中央部分が異様に盛り上がり、「ゴッチン飯」と呼ばれる失敗作が生じることがあった。上官が炊飯状態を厳しくチェックし、「このゴッチン飯は誰が炊
いた!」と怒号を飛ばすこともしばしばだった。なお、炊き上がった飯の中でも特に美味しいとされたのは、釜の外縁部から十センチほど内側の部分であり、炊事兵たちはこっそりとこの部分を優先的に取り分けることもあった。

味噌汁の作り方も特徴的だった。海軍では煮干し(イリコ)を前夜から水に浸しておくことで、翌朝には出汁が完成しているという方法を用いていた。つまり、煮干しを煮込むのではなく、静かに水に漬けておくことで出汁を抽出するという発想である。実際に、この方法で出汁を取った後の煮干しを食べてみると、完全に味が抜け落ちており、これは炊事兵にとっても驚きの体験だったという。味噌汁の仕上げには、重要な禁忌があった。それは「味噌を入れた後に絶対に沸騰させてはならない」というルールである。味噌は、静かに溶かすことでその香りと風味を最大限に引き出すことができるが、強火で加熱し続けると、香りが飛び、ただの塩辛い汁になってしまう。そのため、炊事場では「味噌汁を沸騰させる奴があるか!」
と怒号が飛び、違反者には制裁が下ることもあった。

さらに、海軍式のすき焼きには、家庭とは異なる特有の調理法が存在した。一般的な家庭では、まず鍋に肉を入れ、途中で追加していくのが一般的だが、海軍では最初に全ての肉を甘辛く味付けするという方式がとられていた。まず、砂糖を多めに入れ、肉に甘味を染み込ませた後、大量の醤油を投入する。この過程によって、肉全体に強い甘辛い味がつき、最後に少量の水を加えて野菜を煮込むという流れで調理が進められた。また、肉のたんぱく質(クンパク質)の流出を防ぐため、表面を素早く焼き固めることも重視された。家庭のすき焼きでは、途中で肉を追加することができるが、海軍の方式では、一度にすべての肉を調理するため、味の一貫性が保たれるというメリットがあった。

海軍の炊事の中でも特に興味深いのが、「しるこ事件」として語り継がれるエピソードである。ある炊事兵がしるこの味付けを担当した際、甘さが足りないと感じて何度も砂糖を足していったが、一向に甘くならない。不審に思いながらも、さらに砂糖を追加していると、突然、上官から「貴様、何をやっとるか!」と怒声が飛んだ。実は、その兵士が入れ続けていたのは、砂糖ではなく塩だったのだ。結果として、異常なまでに甘じょっぱいしるこが出来上がってしまった。しかし、意外なことに、それを口にした他の兵士たちは「案外悪くない」と言い、完食する者も多かった。このエピソードは、軍隊内での厳格な調理管理の中にも、時折ユーモラスな失敗が生じることを示している。

こうした海軍の炊事作法は、単なる料理ではなく、軍隊の規律や戦時中の食糧管理と密接に結びついていた。炊飯時の対流管理や、味噌汁の風味を損なわないための火加減、すき焼きの味付けの徹底など、すべてが効率と合理性を追求した結果である。そして、その厳格な管理の中にも、「しるこ事件」のような小さな逸脱が生まれ、それが炊事兵たちの記憶に残る一コマとなったのである。

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