Monday, March 17, 2025

海に沈められた静かなる脅威——放射性廃棄物の海洋投棄の歴史(1959年〜1993年)

海に沈められた静かなる脅威——放射性廃棄物の海洋投棄の歴史(1959年〜1993年)

ロシアおよび旧ソ連による放射性廃棄物の海洋投棄は、過去において深刻な環境問題として国際的な関心を集めた。特に北方海域(バルト海、白海、バレンツ海、カラ海など)では、1959年から1992年にかけて、約879テラベクレル(TBq)の液体廃棄物と574TBqの固体廃棄物が投棄された。これらの廃棄物は、北方艦隊およびムルマンスク船舶公社の原子力艦隊から発生したものである。また、極東海域(日本海、カムチャツカ半島南東沖など)においても、1966年から1992年にかけて、約456TBqの液体廃棄物と252TBqの固体廃棄物が投棄された。これらは、太平洋艦隊からの廃棄物であり、日本海を含む極東海域に投棄されたものとされる。

特に問題となったのは、1993年10月17日にロシア海軍がウラジオストク南東約200キロの日本海において、約900立方メートルの液体放射性廃棄物を投棄した事件である。この投棄は、国際的な批判を招き、ロシア政府は予定されていた再投棄を中止することとなった。この事件は、日本を含む周辺国にとって大きな環境問題となり、国際社会において放射性廃棄物の処理方法についての議論が活発化する契機となった。

ロシアのみならず、欧米諸国も放射性廃棄物の海洋投棄を行っていた。1950年から1963年にかけて、イギリスとベルギーはイギリス海峡に約28500個のドラム缶に入った核廃棄物を投棄しており、近年の調査でこれらのドラム缶が海底に残存していることが確認されている。また、1946年から1982年にかけて、アメリカやヨーロッパ諸国も放射性廃棄物を海洋に投棄していた。このような投棄行為は、後に国際的な規制強化の背景となった。

こうした放射性廃棄物の海洋投棄を防ぐため、国際的な規制が強化されていった。1972年に採択された「廃棄物その他の物の投棄による海洋汚染の防止に関する条約」(ロンドン条約)は、放射性廃棄物を含む有害廃棄物の海洋投棄を規制していたが、1993年の改正により、すべての放射性物質の海洋投棄が禁止された。この改正により、各国は海洋投棄に代わる廃棄物管理の方法を模索することとなった。

日本においては、宇宙処分や海洋投棄、氷床処分などの方法が検討されたが、最終的に地層処分が最も適切であるとされている。日本政府および関連機関は、高レベル放射性廃棄物の処分方法として、地下深くに廃棄物を安定的に封じ込める地層処分の実施を進めている。

ロシアおよび旧ソ連は1959年から1992年にかけて北方海域や極東海域に大量の放射性廃棄物を投棄しており、特に1993年の日本海投棄事件は国際的な批判を招き、以降の投棄を停止する契機となった。また、欧米諸国も1950年代から1980年代にかけて海洋投棄を行っており、放射性廃棄物の海洋投棄は世界的な問題であった。現在では、ロンドン条約の改正により、放射性廃棄物の海洋投棄は全面的に禁止されている。

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