Sunday, March 16, 2025

死線を越えて――鎌倉丸と戦時下の航海(1941-1945)

死線を越えて――鎌倉丸と戦時下の航海(1941-1945)

太平洋戦争において、日本の輸送船は兵員や物資を運ぶ重要な役割を担った。しかし、戦争が進むにつれ米軍の反撃は苛烈を極め、特に1943年以降は潜水艦による「ウルフパック戦術」により日本の輸送船団は壊滅的な打撃を受けた。フィリピン近海やバシー海峡は「死の航路」と化し、多くの船が沈められた。日本の護衛艦不足により、輸送船の単独航行が増え、敵潜水艦の格好の標的となった。戦争を通じて撃沈された日本の輸送船は2000隻以上にのぼる。

このような状況下、豪華客船から軍用輸送船へと転用された「鎌倉丸」も、戦場を渡る運命をたどった。船内には兵士や技術者、徴用労働者が詰め込まれ、甲板の隅々まで人で埋め尽くされていた。護衛が薄い中、敵の襲撃を防ぐための「見張り役」は極めて重要な任務であり、正規の海軍乗組員だけでなく、便乗兵からも適任者が選ばれた。彼らは水平線を凝視し、敵の影を探りながら、絶えず死と隣り合わせの航海を続けた。

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