廃プラスチックの行き場を失った時代 1990年代後半から2000年代
廃プラスチック処理停滞による環境負荷という問題は、単なる一つの技術の失敗ではない。それは1990年代後半から2000年代にかけての日本社会が抱えた産業構造と環境政策の歪みが、静かに露出した出来事であった。
高度成長期以降、日本では廃プラスチックをいかに減らすかが最優先の課題とされてきた。大量生産と大量消費を前提とした社会では、廃棄物は処理されるべき厄介者であり、資源として再び循環させる発想は周縁的だった。ダイオキシン問題を契機に焼却炉は高度化し、同時にリサイクルという言葉が制度の中心に据えられる。しかしその内実は、必ずしも循環型社会を意味していなかった。
容器包装リサイクル法のもとで拡大した処理は、形式上は再資源化であっても、品質の低い再生材や熱回収に近い利用が多かった。数字としてのリサイクル率は維持されても、資源が本当に循環しているかどうかは別問題だったのである。
そうした中で期待を集めたのが、廃プラスチックを油に戻す油化技術だった。理論上は石油代替資源を生み出す夢の技術であり、自治体や企業は実証プラントを次々と立ち上げた。しかし現実は厳しかった。分別の精度が安定せず、処理量も確保しにくい。生成される油の品質や販路も限定的で、何より処理コストが重くのしかかった。原油価格が下落すると、経済合理性は一気に失われ、補助金や自治体契約に依存した事業は持続できなくなった。
こうして油化事業からの撤退が相次ぎ、廃プラスチックの受け皿は急速に細っていく。処理ルートが限られるほど、自治体や排出事業者はコストを最優先にせざるを得ない。結果として選ばれるのは、より安価で環境負荷の高い手法であり、焼却による単純な減容や最終処分への依存が再び強まっていった。
この流れの先に現れたのが、最終処分場の逼迫である。埋立地は一度使えば元に戻らず、周辺環境には長期にわたる影響が残る。しかも新たな処分場の立地をめぐる合意形成は極めて困難であり、問題は時間とともに将来世代へ押し付けられていく。
廃プラスチック処理停滞の本質は、技術の未熟さそのものではない。短期的なコスト競争の中で、環境負荷が正当に評価されず、価格に反映されなかった点にこそ核心がある。市場原理に委ねれば、環境に配慮したが高価な手法ほど排除されやすい。その結果、制度上はリサイクルが進んでいるように見えても、実態としての資源循環は静かに壊れていった。この逆説は、当時の日本の環境政策の限界を示すと同時に、現在のプラスチック問題へと連なる長い影を落としている。
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