遅れてくる傷 土が記憶する時間 1990年代後半から2000年代初頭
汚染が時間差で現れるという感覚は、1990年代後半から2000年代初頭にかけて、ようやく社会の言葉になり始めた。土壌汚染や複合汚染は、爆発や事故のような即時の衝撃を伴わない。そのため発見は遅れ、被害は静かに進行する。表土は均され、建物は建て替えられ、街は更新される。しかし土の内部に残る化学物質は、地下水や植生を介して時間をかけて影響を広げる。気づいたときには、元の状態へ戻る道は閉ざされている。
この時代、日本では土壌汚染対策法の制定が議論され、汚染を測り、管理し、封じ込めるという発想が制度化され始めた。一方で、成長の記憶が濃く残る土地ほど、汚染の告知は再開発や地価に影を落とすため、曖昧にされがちだった。複合汚染という概念も、空気、水、土が連なっているという当たり前を、ようやく言葉にし直す試みだった。
時間差で現れる汚染は、責任の所在をぼかし、対策の決断を遅らせる。だが同時に、それは環境問題の本質を照らす。環境破壊は事件ではなく、日常の選択の積み重ねで生じる。土が記憶する時間は、人間の都合よりも長い。その長さに気づいた瞬間、戻れないという感覚は、恐怖ではなく倫理として立ち上がる。
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