Sunday, September 21, 2025

飯盛女 宿場を支えた影の存在(文化二年 1805年)

飯盛女 宿場を支えた影の存在(文化二年 1805年)

江戸時代、五街道の宿場は参勤交代や旅人の往来によって大いに賑わった。その宿場の経済を支える存在の一つが「飯盛女」である。彼女たちは旅籠で給仕や雑務を担う名目で雇われていたが、実際には売色を兼ねることが多く、宿泊客への性的奉仕が常態化していた。文化二年(1805年)の記録には、飯盛女の人数や宿場ごとの規模が詳細に記され、幕府が一定の枠組みのもとで存在を認めていたことがうかがえる。

当時、吉原のような公娼は幕府直轄の統制下に置かれていたが、街道筋の宿場では旅人の需要に応えるため、飯盛女が実質的に公認されていた。各宿場には「定数」が設けられ、人数を超える場合は取締りが行われたが、実際には黙認される例も多かった。これにより宿場は経済的に潤い、旅籠の経営も成り立った。

一方で風紀の乱れや疾病の蔓延といった問題も生じ、度々規制強化が試みられた。それでも飯盛女の存在はなくならず、庶民や武士の旅を支える裏の仕組みとして機能し続けた。すなわち、飯盛女は幕藩体制下の経済と風俗を結びつけた象徴的な存在であり、江戸社会の矛盾と現実を体現する存在であった。

No comments:

Post a Comment