市民と寺が紡いだ小さな電源開発の夢 ― 江戸川区・寿光院(1999年4月)
1990年代後半、日本では「地球温暖化防止京都会議(COP3)」で約束した温室効果ガス削減目標の達成に向けて、太陽光発電など再生可能エネルギーが注目され始めていました。しかし、導入コストはまだ高く、家庭や地域レベルでの普及は試行錯誤の段階にありました。ちょうどその頃、江戸川区で活動する市民グループ「足元から地球温暖化を考える市民ネット・えどがわ」が中心となり、地域に根ざした発電所づくりを試みます。その舞台に選ばれたのが、地元の寺院「寿光院」でした。
寺の客殿に設置される予定の太陽光発電設備は出力5kw余り。当時としては先駆的な規模であり、住職は「客殿の電気に使うほか、余った電力は電力会社に売る」と語ります。さらに市民側からも「償却が終われば第2、第3の発電所建設を計画していきたい」という声が上がり、会話の中に未来への希望がにじんでいました。電気は生活に欠かせないインフラですが、それを「市民とお寺が共に作り出す」という発想自体が、当時としては斬新で温かいものでした。
また、このプロジェクトは資金面でも特徴的でした。総工費のうち約600万円を、行政からの助成金や融資、市民の寄付でまかなう仕組みが取られました。つまり、地域の人々が「出し合い、支え合う」ことでエネルギー設備を実現する、協同のモデルケースだったのです。当時の日本では、電力は大手電力会社が独占的に供給する構造が当たり前でした。その中で「余った電気を電力会社に売電する」という仕組みを実践することは、市民による電源開発の可能性を象徴するものでした。
背景には、90年代に進んだ市民運動の成熟もありました。環境問題を「国や大企業任せ」にせず、市民が自ら取り組むという意識が芽生え、自然エネルギー導入はその象徴的テーマでした。江戸川区という都市部において、寺院という伝統的な場を拠点にしたことも、人々の関心を集めた理由でしょう。地域コミュニティと宗教施設、市民活動が融合する姿は、単なる「発電所建設」以上に、21世紀型の「地域と環境のあり方」を先取りしていたのです。
こうした小さな試みは、のちの「市民電力会社」や「再生可能エネルギー協同組合」の萌芽にもつながっていきました。つまりこの江戸川の事例は、1990年代の日本におけるエネルギー民主化の小さな一歩として歴史的に意味を持つものだといえます。
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