Saturday, August 24, 2024

【書評】サイバネティクス大全


 「サイバネティクス大全」について、オートメーションの話なんですけど、ユヴァル・ノア・ハラリの『ホモ・デウス』に関連する部分があります。人間が神を黙らせたという話ですが、サイバネティクスに関しても宗教的なタブーを覆したという話です。

116ページに、ウィーナーが見るところ、科学が宗教の領域に侵入し、神を追い出したということで、三つのポイントが述べられています。まず第一に、「神が創造したものは神を上回れない」という点です。第二に、「神のみが生命を創造できる」、つまり神のみが創造主であるということ。第三に、「機械は魔法的である」ということです。 つまり、機械が魔法的なものに含まれるということですが、ここでのポイントは、神が創造したものが神を上回れないという信仰に対して、旧約聖書のヨブ記やジョン・ミルトンの『失楽園』でも問題にされているように、悪魔との駆け引きが描かれています。ゲーテの『ファウスト』でも同様です。 ここでの疑問は、神が全てを創造したとすれば、なぜ悪魔が存在するのか、そして神はその存在を許容しているのかということです。駆け引きをしている時点で、その存在を認めていることになります。要するに、神が悪魔を許容するまでは理解できますが、そのゲームにおいて神が負けてしまう可能性があるという話です。 116ページに戻ると、限定的な意味では、創造する側が創造された側と意味のある駆け引きやゲームができるかという点に疑問が生じます。しかし、チェスや囲碁などでも証明されているように、創造されたものが創造したものを上回ることがあるのです。これを言い換えれば、人間が神を上回れるという結論に達するのです。 また、「神のみが創造し、神のみが生命を作れる」という信仰も、機械が自己複製できる現象が再現できるようになったことで覆りつつあります。マシンがマシン自体を作り出すことが可能になると、神の創造主としての独占が崩れるということです。 最後に、「マシンが魔法的である」ではなく、「魔法的なものが機械的である」ということについてですが、魔法が機械を含むのではなく、機械が魔法を含むという考え方が重要です。魔法や心霊現象は論理的なものであり、それはマシンの論理を表しているのです。機械が魔法より先に存在し、魔法はその一部に過ぎないということです。ここでも神の領域が侵されているという結論に至ります。 結論として、ウィーナーの見るところ、科学は宗教の領域に侵入し、神を追い出したということになると思います。 #サイバーセキュリティ

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