1960年代の日本では、工業地帯で大気汚染や水質汚濁が深刻化し、四日市市や川崎市などで市民の健康被害が報告されました。水俣病やイタイイタイ病など、産業排出物による重大な公害問題が発生し、これが後の環境庁設立の契機となりました。
2. ASEANの環境基準と経済発展の調和
ASEAN諸国は、国際基準と域内基準の調和を目指し、環境基準の策定を進めています。特に経済発展を考慮しつつ、生態系の保護と経済成長の両立を目指しており、加盟国の発展と環境保護のバランスが課題となっています。
3. 水銀汚染と水俣病の拡大
1950年代末から始まった水俣病は、熊本県水俣湾における水銀汚染が原因であり、被害は深刻化していきました。厚生省が汚染を認定したにもかかわらず、適切な対策がとられず、被害が拡大しました。新潟県でも同様の汚染が発生し、第二の水俣病が問題となりました。
4. 農薬による土壌汚染と環境破壊
1960年代から1970年代にかけて、農薬の使用が急増し、農村地帯での土壌汚染が深刻化しました。有機水銀系や有機リン系の農薬は、作物残留農薬として問題視され、健康への影響が懸念されました。これにより、農薬の使用制限が求められるようになりました。
5. 高度経済成長期の環境汚染
高度経済成長期における日本の工業化は、環境汚染の拡大を引き起こしました。特に石炭から石油へのエネルギー転換やコンビナート建設に伴う大気汚染や水質汚濁が進行し、都市部の公害問題が深刻化しました。
6. 光化学スモッグと都市環境
1970年代、東京の杉並区で発生した光化学スモッグによって、女子校の生徒が大量に倒れる事件が発生しました。この事件は、都市部の大気汚染の深刻さを象徴し、政府に対する批判が高まりました。これを契機に、大気汚染対策が強化されることとなりました。
7. 工業廃水による海洋汚染
1958年、本州製紙の江戸川工場による排水が浦安の漁場を汚染し、漁民が工場に乱入する事件が発生しました。この事件を契機に、水質保全法と工場排水規制法が制定されましたが、これらは経済企画庁によって管理されることとなり、地域住民の環境保護への期待が高まりました。
8. 日本の環境行政の発展
環境庁が設立される以前の日本では、厚生省や地方自治体が公害対策を主導していましたが、その限界が指摘されていました。1967年には公害対策基本法が制定され、環境行政の一元化が求められるようになりました。
9. 地盤沈下と地下水汲み上げ規制
1960年代、名古屋や大阪で発生した地盤沈下は、地下水の過剰な汲み上げが原因であり、都市環境に大きな影響を及ぼしました。これに対処するため、地下水採取の規制が進められましたが、効果は限定的でした。
10. 公害対策基本法の制定とその影響
1970年、公害対策基本法が制定され、これにより企業の公害防止責任が明確化されました。しかし、経済発展との調和を求める産業界からの反発も強く、環境保護の進展には課題が残されました。
No comments:
Post a Comment