Thursday, April 10, 2025

声なき線の上にて 一九六九年の記憶

声なき線の上にて 一九六九年の記憶

私は1969年、部落の町で呼吸していた。舗装もされていない道、木造の長屋。名前を口に出すだけで、どこかで冷たい視線を感じた。見えない線は確かにそこにあった。

全国水平社の「人間の解放」という理想は、時の流れとともに「部落民の権利要求」へと狭まり、私たちの誇りは「違いを突きつけられたあと」にようやく取り戻されるものになっていた。

同和対策事業は町を整備したが、「ここは同和地区ですから」という一言が、また新たな烙印を私に刻んだ。差別発言への糾弾も、人を理解させるより屈服させる儀式へと変わっていった。

運動がイデオロギーに呑まれ、学生運動の言葉が私たち自身の声を塗りつぶしていくのを見た。私は、ただ「正しい言葉」ではなく、自分の言葉で語りたかった。

自由がほしかった。誰の目も気にせず、好きな道を歩く、そんな当たり前を。1969年、日本中がざわめく中で、私の声は小さく揺れながらも、たしかに存在していた。

私は今も、「部落民」という名の奥にある、ひとりの人間としての声を探している。

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