命に値札がつく夜――2023年までの闇市場の風景
暗い闇の奥に、見てはならない扉がある。そこでは人間の命が値段で取引され、怒りや復讐の欲望が、仮面をかぶった他者に託される。名もなき者たちは、ひとつの画面越しに、死を注文する。それが、「暗殺市場」と呼ばれる場所だ。
この恐ろしい考えは、1990年代に生まれた。とある思想家が、政府を打倒する手段として「懸賞付きの殺人」を提案した。誰かが要人の名前を掲げ、世間がその人物に死を望むなら、報酬を払おうというものだった。これがのちに、ネットの奥底で現実化されてしまった。
2013年、「サンジュロ」という名を語る人物が、この仕組みを実装した。その市場には、政治家や高官の名前が並び、人々が匿名で賞金を積み重ねた。命が欲望の投影として、数列に変わる瞬間だった。
この構造に乗じた詐欺も多発した。「クイックキル」と呼ばれたサイトは、殺し屋を仲介すると称して金を騙し取った。連絡は途中で絶たれ、依頼主は怒りのまま取り残された。そして「クトゥルフ」という伝説の人物が現れる。殺人実況の場に登場したとされ、幾人かを葬ったという噂が独り歩きした。だが、その姿は一度も確認されなかった。幽霊のような名前だけが、闇に残った。
より現実に近い事件もある。ある男が、ライバルを消そうとした。2013年、巨大な違法サイトを運営していた彼は、8万ドルを支払い、人を殺すよう依頼した。相手は、警察だった。すべては仕掛けだったのだ。逮捕された彼は裁判で、命を金で買おうとしたその罪を問われた。
また、「ハンサ」と呼ばれた別の市場にも、似た掲示板が存在した。そこでは、一般人なら5000ドル程度、要人や警備付きの人物には10万ドルもの値がつけられた。この市場の恐ろしさは、その匿名性よりも、「誰でも参加できる」気安さにあった。
このような闇の実態を伝えたのが、ある調査記事だった。記者は、ネットの深層を歩き、実際に殺し屋を名乗る者たちと接触した。「夫を殺したい」「隣人を消してくれ」。そこには怒りや絶望が剥き出しのまま並んでいた。しかし、ほとんどが詐欺だった。誰も殺されず、誰も責任を取らなかった。
これが、「命に値札がつく夜」の正体である。そこにあるのは、実行よりも幻想。血よりも通貨。そして、憎しみよりも不信だ。人は、匿名の中で怒りを託し、金を投げる。しかしその行為は、自らの孤独を深めるだけだった。
画面の向こうで、何かが消える音がする。それは他人の命ではない。希望の小さな灯が、ひとつ、またひとつと、闇に沈んでいく音なのかもしれない。
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