夜桜はまだ散らぬ 昭和三七年から三八年 博多の侠が刻んだ誇り
昭和三十七年一月、博多の夜に銃声が響いた。撃たれたのは"夜桜銀次"こと平尾国人。命は取り留めたが、街は凍りついた。彼はかつて山口組石井組に属し、若衆からは仁義と筋を通す侠として尊敬されていた。その襲撃を山口組は宮本組の仕業と誤認し、翌年、報復として福岡に進出。昭和三十八年、山口組と地元・宮本組の間に構想が勃発する。博多の空気は張り詰め、暴力の火種がくすぶっていた。しかしそのとき、平尾は静かに動いた。どちらにも加担せず、ただ「博多の秩序」を守るために。敵地に一人で乗り込み、放った言葉は「ここで刀抜いたら、桜も散るばい」。それが伝わり、抗争は流血に至らず収束した。夜桜銀次の名は、春を待たずに咲く侠の花として、今も博多の風に揺れている。
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