谷に手をつくして――葛生の水と私たちの誓い(1994年8月)
あの夏、栃木県葛生町の山あいに、処理場建設の話が持ち上がったとき、私は目の前が暗くなった。生まれたときから親しんできた谷に、産業廃棄物を埋めるという。説明会で業者は「安全です」「モニタリングしています」と繰り返したが、私にはただの言い訳にしか聞こえなかった。この土地の水は、山の根から湧く命の流れだ。それがひとたび汚されれば、もう元には戻らない。
私たちは座り込みを始めた。葛生町の飯岡地区、馬門川沿いの旧山林に、手作りの横断幕を掲げて並んだ。若い母親が幼子を抱いて立ち、年寄りが汗を拭きながら訴える。だれもが怒りというより、祈りの気持ちでそこにいた。この谷の静けさと水を、子や孫に引き継ぎたい。ただそれだけだった。
行政は「民間活力」と言った。けれどその実態は、バブル崩壊で失敗したゴルフ場業者の名義変更と資金繰り。都市の論理が地方にのしかかるとき、そこに暮らす者の声はかき消される。だが、私たちは引かなかった。
谷の風。井戸の音。冷たい水の感触。失うには惜しすぎた。私は今日も、川の音に耳を澄ます。
(1994年8月)
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