Friday, June 6, 2025

無機質な声で都市の孤独を撃つ――Phewという異物の衝撃―1980年代初頭

無機質な声で都市の孤独を撃つ――Phewという異物の衝撃―1980年代初頭

1970年代末から80年代初頭、日本は高度経済成長から安定成長へと移行する時期に差しかかっていた。街にはネオンがあふれ、テレビからはアイドルとバラエティが流れ、労働と消費が都市生活の主旋律となるなかで、都市の片隅にはその"音の洪水"に異を唱える声が確かに存在していた。

Phewは、そうした時代に大阪のアンダーグラウンドから現れた女性アーティストだった。1979年に結成された前衛バンド「アーント・サリー」のヴォーカリストとしてまず注目され、その後はソロ名義で活動を本格化させた。

彼女の歌声は、朗々と響くわけでも、感情を剥き出しにするわけでもない。むしろ「冷たい」「無機質」「抑制的」と形容されるその発声には、都市に生きる人間の無感動さや疲労感、言語の隙間に生じる孤独が宿っていた。だがそれがまさに、80年代初頭の都市生活者にとって"リアル"だったのである。

Phewが画期的だったのは、そうした日本的な都市感覚を、国際的な音楽文脈と結びつけたことだ。1981年、坂本龍一のプロデュースによりリリースされたソロ作は、すでにポストパンク色を強く帯びていたが、翌年にはドイツの実験バンドCANのメンバー(ホルガー・シューカイ、ヤキ・リーベツァイト)と録音を行い、作品『Phew』としてリリース。このコラボレーションは当時の日本のロックシーンにとっても異例のことであり、"世界の前衛"との接続を意味した。

当時の音楽シーンでは、YMOやテクノ歌謡が商業的な成功を収める一方、Phewはその商業主義の表層を静かに拒否し続けた。無機的な電子音と、反復するリズム、そして感情を絞り出すような日本語の詞。その構成は、むしろ沈黙や空白、言葉にしきれない「気配」そのものを表現することを目指していた。

80年代初頭という時代は、「ポップ」か「アングラ」かという二項対立の中にあって、Phewはそのどちらにも安住しない、非常に稀有な立場にいた。女性であることを誇示もせず、フェミニズム的スローガンを語るでもなく、しかし男性中心の音楽業界において、彼女はその存在自体が「異物」として強烈な光を放っていた。

Phewの表現は、語りすぎることを避け、むしろ"発語以前"の感情をそのまま提示するような感覚に満ちている。その不思議な魅力は、後年になって再評価され、海外のオルタナティブ・リスナーや批評家からも高く評価された。

Phewの音楽は、都市の暗がりで迷い、言葉を失った者の声なき声を拾い上げるようだった。彼女の活動は、ポストパンクという表現形式が、日本においても"思考する音"として成立しうることを示した先駆けである。静かで過激なその存在は、今なお時代を超えて響いている。

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