流行歌の曙光 ― 佐藤千夜子と「東京行進曲」 1920年代~1960年代
佐藤千夜子は、日本大衆音楽の黎明を象徴する歌手である。山形県天童市に生まれ、東京音楽学校に学んだのち中退し、野口雨情や中山晋平と各地を巡り、歌の普及に尽力した。大正十四年に始まったラジオ放送にいち早く登場し、庶民に歌声を届けたことは、まだ蓄音機の普及が進んでいなかった時代に画期的であった。
代表作は昭和四年に映画化された菊池寛原作『東京行進曲』の主題歌である。二十五万枚を売り上げたこの曲は、蓄音機十万台の時代にあって記録的な成功であり、近代都市東京のモダンな空気を全国に広めた。歌詞を手がけた西條八十は、この作品を契機に歌謡界に足を踏み入れ、以後の昭和歌謡を彩る存在となった。さらに「紅屋の娘」「黒百合の花」も次々とヒットし、大衆文化に強い影響を与えた。
彼女は古賀政男の代表作「影を慕いて」の歌い手ともなり、作曲家古賀を世に出す重要な役割を担った。後にオペラ留学を果たし、日本民謡を海外で広める活動も試みたが、帰国後は藤山一郎ら新世代の台頭に押されて存在感を失っていく。それでも戦時中には南方戦線の慰問に赴き、兵士の心を慰めた。
同世代の東海林太郎や淡谷のり子が戦前・戦中を通じて人気を保ち続けたのに対し、佐藤は早期に頂点を極めながらも、その後は時代の流れに翻弄された。東海林がクラシック発声を生かした正統派の姿勢で男性歌手の規範を築き、淡谷が「別れのブルース」でブルースの女王として長命を保ったのに比べ、佐藤は一曲の鮮烈な大ヒットで名を刻み、しかし短命の栄光と転落を体現したのである。
晩年は生活困窮や逮捕事件など波乱に満ち、「薄幸の歌姫」と呼ばれた。昭和四十三年、七十一歳で逝去。病床で「東京行進曲」を口ずさんだと伝えられる。彼女の歩みは、流行歌が誕生した時代の光と影を凝縮し、後の世に語り継がれる物語となった。
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