Monday, April 28, 2025

新宿伊勢丹・1946年夏のリクエストカード・フェスティバル

新宿伊勢丹・1946年夏のリクエストカード・フェスティバル

昨年の夏、新宿の伊勢丹で「リクエストカード・フェスティバル」が開催されると聞いて、俺は期待に胸を膨らませながら足を運んだ。戦争が終わり、新宿は焼け野原の中から立ち上がろうとしていたが、その復興はまだ途中段階に見えた。駅前には闇市が名残をとどめ、細い路地に露店が立ち並び、泥だらけの道を歩くたびに靴が汚れた。街には人々の活気が漂っている一方で、空襲で失われたものの影がまだどこかに残っているようだった。

伊勢丹のような百貨店は、この混乱の中で一際目立つ存在だった。戦後、日本の経済は緩やかに復興し始めていたが、百貨店の再建はその象徴とも言えた。焼け跡に新しく建てられた伊勢丹は、戦前からの格式を引き継ぎつつも、新しい時代にふさわしい文化を発信する場となっていた。このイベントには、ただ買い物をするためではなく、新しい時代を体感するために足を運ぶ人々が集まっていた。

会場に着くと、すでに多くの人が集まっていた。リクエストカードを手にした若者たちが笑顔で談笑し、放送局のパーソナリティがステージで声を響かせるたびに、場内は熱気で包まれていた。俺もその一人として、最近ラジオで聴いたお気に入りの洋楽を思い浮かべながら、リクエストカードにペンを走らせた。

ラジオは当時の日本で最も身近な娯楽であり、戦争中は情報統制の道具として使われていたが、戦後は人々の心を慰め、繋ぐものとしてその役割を変えていた。特に洋楽が紹介されるようになり、若者たちの間で新しい流行を生むきっかけとなった。このイベントは、リスナーがラジオ番組にリクエストを送り、それが会場で共有されることで、双方向の文化交流を生み出していた。

リクエスト曲が発表されるたび、会場は拍手と歓声で満ちた。「あの曲だ!」と誰かが叫ぶと、その声に応えるように隣の人々が笑顔を見せる。俺も隣にいた見知らぬ若者と目を合わせ、無言で笑い合った。俺たちはここでただ音楽を聴くだけではなく、新しい友達や仲間を見つけ、この新しい時代を共に生きていることを実感していた。

戦後の新宿は冷たい街だと言われることが多かった。多様な人々が集まり、どこか他人行儀な距離感が漂う場所だったからだ。だが、この日ばかりは違った。伊勢丹でのフェスティバルは、新宿に温かさを感じさせる特別な場になっていた。伊勢丹という大きな百貨店が、戦争で失われた希望や夢を少しずつ取り戻そうとしているように見えた。そしてその空間で、俺たち若者も新しい時代の何かを掴もうとしていたのだ。

イベントが終わる頃、空は夕焼けに染まっていた。赤く染まる新宿の街を眺めながら、俺はまだその余韻に浸っていた。リクエストカード・フェスティバルは、俺にとって新宿が単なる盛り場ではなく、夢や希望を感じさせる場所だと教えてくれた。そして、あの日の興奮と暖かさは、今も俺の胸の中で生き続けている。

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