六代目尾上菊五郎――写実と洒脱の舞台(1885年〜1949年)
六代目尾上菊五郎(おのえ・きくごろう)は、明治から昭和初期にかけて活躍した日本の歌舞伎俳優である。1885年(明治18年)、本名・寺島武男として生まれ、五代目菊五郎の養子として、その血と芸を受け継ぎ、さらに己の感性で新たな地平を切り拓いた。
彼の芸風は一言でいえば「写実と洒脱」であった。従来の歌舞伎が持っていた絢爛たる様式美に、六代目は人間のリアルな感情と機微を織り込み、観客に生身の人間像をまざまざと見せつけた。とりわけ「世話物」と呼ばれる江戸庶民の日常を描く芝居において、その真価を発揮した。
代表作は、『弁天小僧』『与話情浮名横櫛』『盲長屋梅加賀鳶』など。どの作品でも、単なる技巧を超え、役の内面を生きるような演技で、名人と讃えられた。
六代目はまた、舞台裏でのお茶目な逸話にも事欠かなかった。
たとえば、先代吉右衛門と共演したある芝居では、按摩の役を演じる際、舞台上で吉右衛門を「もんでいる」と見せかけて、実はくすぐり続けた。最初は我慢していた吉右衛門も、ついにたまらず舞台上で叫んだ。
「お客さんー、六代目が私をくすぐるんです」
この一件は、舞台をも遊び場に変えてしまう六代目の洒脱な気質を如実に物語るものである。
舞台上での自由自在さは、さらに大胆な形でも現れた。
たとえば『盲長屋梅加賀鳶』では、敵方に捕まる場面で、台本を無視して本気で抵抗。周囲の役者たちも慌てて応じ、予定にない格闘さながらの立ち回りとなった。観客は大喝采、しかし舞台裏では「加減してくれ」とぼやく声も聞かれた。
『弁天小僧』では、逃げ込む場面でわざと草履を脱ぎ捨てて登場し、緊迫感を高めた。六代目にとって芝居とは、決められた型をなぞるものではなく、常に生きて動くものであった。
弟子たちとの関係にも、六代目の人間味がにじみ出ている。
彼は稽古で細かい技術を教えず、「もっと自由にやってみろ」と促した。ただし、自由の中にも芸の芯が通っていなければならないという厳しい基準を持っていた。特に、後に名優となる七代目松本幸四郎(白鸚)や十一代目市川海老蔵(後の十二代目團十郎)らは、六代目の教えを胸に、写実と洒脱を体現する歌舞伎を志した。
稽古場では、落ち込む弟子を冗談で笑わせる一方、舞台では一切の妥協を許さなかった。
厳しさと優しさ、粋と情。この両方を併せ持った師匠だった。
1949年、六代目尾上菊五郎は64歳でこの世を去った。
しかしその死後も、六代目の精神と芸は弟子たちに受け継がれ、現在に至るまで、歌舞伎界において「六代目」といえば、まずこの名を指すほどの鮮烈な存在であり続けている。
六代目菊五郎――それは、技巧を超え、型を超え、人間そのものを舞台に立たせた男の名であった。
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