病院のゴミが金になる時代――1990年代医療廃棄物ビジネスの胎動
1990年代初頭、日本社会はバブル経済崩壊の余波に揺れていた。景気後退が深刻化し、企業倒産や雇用不安が広がるなか、多くの業種が新たな市場を模索していた。その一つとして注目されたのが、「環境ビジネス」と総称される分野である。とりわけ、医療廃棄物という新たなカテゴリーが浮上したのは、法整備と社会的な安全意識の高まりが背景にあった。
1989年、厚生省(現・厚生労働省)は「医療廃棄物処理ガイドライン」を公表し、注射針や血液の付着したガーゼなどを感染性廃棄物として扱う方針を打ち出した。そして1992年には「廃棄物処理法」が改正され、感染性廃棄物は特別管理産業廃棄物に分類されることとなった。これにより、これまで一般の廃棄物として扱われていた医療ゴミが、突如として高リスク・高コストな「特別扱い」となり、専用の保管・運搬・処理が義務づけられたのである。
この変化をビジネスチャンスとして捉えたのが、多種多様な業界からの新規参入組だった。全国産業廃棄物連合会・医療廃棄物専門部会の渡辺昇部会長は、こう語っている。「なにしろ新しい市場になりますからね。不動産、タクシー会社、土木会社などいろんな業種から参入してきましたよ。いままで廃棄物処理は安い値段かタダ同然で引き受けてたんですが、感染性廃棄物の処理となるとその10倍以上にもなりますからね」。この発言からうかがえるのは、廃棄物処理が"コスト"から"収益"へと転化される瞬間に立ち会った業界の実感である。
だがこの急激な市場拡大は、同時に多くの歪みを生んだ。医療廃棄物処理の単価は業者によって1キロあたり50円から1000円と大きくばらつき、ダンピング競争が起きた。安価な処理を売りにする業者は、法改正前と同様のずさんな手法で処理を行い、感染リスクや不法投棄の問題を再燃させた。こうして制度は形骸化し、せっかく定められた「安全」が、コスト圧力によって再び後退するという皮肉な結果を生んだのである。
バブル崩壊後の経済の冷え込みと法整備によって誕生したこの市場は、ある種の「金鉱」として注目を集めた。しかし、その鉱脈を掘る手段が不完全であるかぎり、そこに生じるのは環境と健康の二重被害であった。渡辺部会長の発言は、単なる事業者の喜びではなく、急成長する新市場の影にある危うさを含んでいた。医療の現場で出される"命にかかわるゴミ"を、誰が、どうやって処理するのか――その問いに対する答えは、今もなお日本社会に突きつけられたままである。
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