Tuesday, June 3, 2025

葛生町住民の座り込みと自然破壊阻止の動き - 栃木県葛生町・1994年8月

葛生町住民の座り込みと自然破壊阻止の動き - 栃木県葛生町・1994年8月

1994年の夏、栃木県葛生町の山あいに、かすかな怒りの声が根を張り始めていた。予定された産業廃棄物の安定型最終処理場建設に対し、地元住民が座り込みという形で直接抗議を開始したのである。

この頃、日本はバブル崩壊後の深刻な不況に苦しんでいた。高度成長期からの開発主義が大きく軌道修正され、土地神話が崩れたことで、全国の山林や農地が「使い道を失った資産」と化していた。その一方で、都市部の消費活動から生まれ続ける産業廃棄物の処理が逼迫し、「静脈産業」としての廃棄物処理場が脚光を浴びていた。

葛生町に計画された処理場も、こうした背景の中で浮上した。山林を切り開いて作られるその処理場は、谷筋に位置し、地下水系と密接に繋がっていた。つまり、わずかな漏洩や浸出水の管理ミスが、長年にわたって地域住民の命を支えてきた水源を汚染する危険をはらんでいた。

計画発表当初、業者と行政は「安全性は確保されている」と繰り返したが、住民たちは納得しなかった。なぜなら、過去に別地域で発生した処理場由来の地下水汚染事故が、行政の認識をはるかに超える被害を及ぼしていたからである。さらに、安定型処理場には底部にゴムシートの敷設が義務付けられておらず、土壌との接触による汚染リスクが高かった。

住民の行動は、単なる開発反対ではなかった。座り込みという非暴力的かつ継続的な抗議は、生活の根幹である「水」と「自然」に対する切実な防衛反応だった。年配の農民たちは、炎天下の中でも手作りの横断幕を掲げ、若い母親たちは幼子を背負って集会に参加した。彼らの言葉には、制度や統計には表れない生活者の論理があった。

この座り込みは、やがて全国の環境NGOや市民団体とも連携し、産廃行政のあり方そのものを問う運動へと発展していく。「地方が都市のゴミを背負わされる構造」への静かな怒りが、じわじわと広がっていった。

1994年という年は、環境基本法が施行された翌年でもある。だが、まだ「環境民主主義」や「参加型政策」という言葉が制度として機能する前夜のことであった。葛生町での住民の座り込みは、その制度の欠落を、草の根から突きつける試みだった。

No comments:

Post a Comment