「不法投棄から輸出へ――闇のアウトローたちの転身」(2000年代初頭)
1990年代、日本はバブル経済崩壊の痛手を引きずりつつ、「循環型社会」「ゼロエミッション」などの理念のもと、環境ビジネスを新たな成長産業とすべく法整備を急いでいた。容器包装リサイクル法(1995年)、家電リサイクル法(1998年)、建設・食品・自動車の各リサイクル法が相次いで成立し、2000年は"リサイクル元年"とも言える節目の年となった。
だがその裏では、制度の矛盾と経済の地殻変動が、別のビジネスの種を生んでいた。千葉県では、建設系廃棄物の処理施設が不足し不法投棄が蔓延。組織的な産廃ネットワークが都市再開発ブームに便乗して暗躍していた。しかし2003年頃、摘発の強化と建設需要の鈍化により、そうしたネットワークは一見姿を消した。
だが実際には"転身"していたのである。中国がWTO加盟を果たし猛烈な経済成長を遂げる中、鉄・非鉄・プラスチックなどの資源需要が急騰。日本では処理費用がかかるだけの"ゴミ"だった廃材が、中国では"資源"として高値で売れるようになった。このギャップにいち早く気づいたのが、かつての産廃アウトローたちだった。
彼らは、法のグレーゾーンを巧みに突いて輸出業者へと華麗に転身。産廃Gメンたちは、不法投棄事件で逮捕した人物と、今度は港で出くわす。「俺たちがやらなきゃ誰がやる」――その目に曇りはなく、むしろ確信と誇りさえ帯びていた。
制度は進化した。だがそれを利用する闇もまた進化する。新たなリサイクル法が施行されるたびに、新たな"裏"のビジネスが生まれる。容器包装、家電、食品、建設、自動車――それぞれにアウトローが現れた。合法と違法の境界は曖昧になり、「法の知恵比べ」が静かに続いている。
国が描いた「資源循環社会」は、現実には"中国への資源流出社会"に変貌しつつあった。日本国内の高コストなリサイクルを横目に、中国のバイヤーは"使えるゴミ"を根こそぎ持ち去っていった。私たちが丁寧に分別した容器包装も、輸出業者の利益に変わり、再び海を渡っていく。
不法投棄は確かに減った。だがそれは、犯罪が消えたのではなく、形式と手法を変えただけだった。静脈物流――すなわち廃棄物の流通――は今や国境を越え、かつてのアウトローたちはその新天地で、堂々とビジネスを続けている。
「法律がすべてではない」――その叫びは、地下からではなく、今やコンテナターミナルから響いている。
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