Saturday, October 25, 2025

スケールを越えて流れるもの 進化論の行く先へ 1900-2025

スケールを越えて流れるもの 進化論の行く先へ 1900-2025

進化を説明する際、私たちはつい個体を分析単位にしてしまう。ある突然変異が起き、それが環境に適応すれば子孫に残るというダーウィン以来の説明は、一見すると整然とした因果関係を示しているように見える。しかしこの視点だけでは、進化に普遍的に現れる特徴。たとえば多くの動物に共通する眼の獲得や、脳の高度化といった方向性は説明しきれない。なぜ別々の環境に置かれた生物が似た器官を発達させるのか。なぜ同じ外的刺激を受けながら、ある種は極めて複雑な神経系を獲得し、別の種はそうならなかったのか。そこには、突然変異の偶然性だけでは語れない大きな流れが働いているのではないかという問いが生まれる。

ベルクソンはこの点に注目した。彼によれば、生命とはただ機械のように積み重ねられるパーツではなく、時間を内に抱え前へ進む勢いそのものだとされる。進化とは、個体の性質変化ではなく、種全体が共有する方向性の発現である。生命は全体として、より動ける方向へ。またより複雑な統御が可能になる方向へと押し出されている。だからこそ、異なる場所で生きる生物にも似た器官が繰り返し生まれる。

機械論や目的論は、それぞれ部分の解析と完成形を前提に据える。しかし生命の実態はその間にある。未来に向けて開かれた可能性を携え、連続的に形を変えながら、なお一貫した方向を持つ。そのため、個体スケールの分析だけでは捉えられない現象が現れる。

要するに、進化を理解するには、個体の集積としての種という静的な枠を超える必要がある。生命を、時間とともに流れ続ける運動体として描き直すこと。進化論が次に向かうべき視座は、個の変化を超えた生命の歴史そのものを読み解くことにあるのだ。

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