旅の涯てに咲いた花 ― 山本譲二の演歌道 1970年代-2000年代
山口県下関市に生まれた山本譲二(1950年生)は、演歌界の王道を歩んだ「旅と人生の歌い手」である。高校時代には甲子園を経験し、スポーツマンとしての気風を備えた彼は、1968年に歌手を志して上京。新宿のライブ喫茶で弾き語りを続けていた彼を見いだしたのが、作曲家・浜圭介だった。
1974年に「伊達春樹」の芸名でデビューを果たすも大きなヒットには恵まれず、1978年に本名の「山本譲二」で再出発を切った。そして1979年、「みちのくひとり旅」の大ヒットが、彼の運命を一変させた。哀愁を帯びた旋律と、北国の情景を情熱的に歌い上げたこの曲は、100万枚を超えるセールスを記録し、彼の代表作として燦然と輝いている。
以降、「旅の終りに」「夢街道」「流転の橋」など、旅と人生、別れと郷愁をテーマにした演歌を数多く発表。とくに「浪漫-ROMAN-」では、壮大な編曲とともに人生の儚さと夢を交差させ、多くの中高年層に深く訴えた。彼の歌唱には、ただの"演歌"にとどまらないドラマがあった。
同世代には、細川たかし(1950年生、デビュー1975年「心のこり」)、鳥羽一郎(1952年生、「兄弟船」)らがいるが、山本譲二は"哀しみの中の優しさ"を感じさせる歌風で際立ち、また舞台上での男気ある振る舞いや、気さくなテレビ出演でも親しまれた。
演歌の黄金期を彩った昭和50年代-平成初期において、彼は「旅」を中心に据えた一貫した世界観を築いた数少ない歌手の一人であり、演歌が"風景を歌う"ジャンルであることを体現し続けている。
なお現在も、自身の事務所「ジョージ・プロモーション」の代表として後進を支えながら、ふるさと下関をはじめとする地域との連携活動も活発である。演歌が大衆歌謡としての役割を問われる時代にあっても、「山本譲二の歌」は、人生を旅と見立てる日本人の情緒とともに、静かに流れ続けている。
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