風の神、夜に帰る――佐渡島・竹田の祭礼と祈りの記憶(1973年頃)
佐渡島では、各地に点在する能舞台が、神社の祭礼と深く結びついた場として機能してきた。とりわけ竹田集落の大膳神社能舞台は、茅葺きの社殿を舞台に、村人たちが自ら演じる「定能」という形式を受け継いできた場所である。1846年に再建されたこの舞台は、神へ奉げる舞の場であると同時に、村人の祈りの時間でもあった。
1973年頃、高度経済成長の波が農山漁村にも押し寄せ、佐渡の暮らしもまた変貌しつつあった。電化と機械化が生活に浸透し、かつての素朴な村落の風景も徐々に近代の光を帯び始める。だが、そうした変化のただ中にあっても、神と人とのあいだに漂う微細な時間は、確かに生きていた。
夜を徹して続く神前での舞台。火が灯され、笛と鼓が空を割く。舞台に立つ者の身振り一つひとつが、現世と異界とをつなぐ媒介となり、観客たちはその神聖な時間に身を委ねていた。そして、祭が終わる。舞が止み、音が消え、人々は静かに家路につく。神主が独り、静かに片付けを始めたそのとき、山のほうからひとりの老人がゆっくりと姿を見せる。「もう神さま、お帰りかな」とぽつりと呟くその声には、神がそこに"いた"という実感と、"去っていく"という寂しさが滲んでいた。
この言葉に、日本の神観念の本質が見え隠れする。神は遠くの空にいるものでも、絶対的な権威として鎮座するものでもない。舞や声、火と影、鼓動の中にふと現れ、ふと消える存在である。だからこそ、人々は神を畏れつつも親しみ、その消え際に深い余韻を抱く。
変わりゆく時代にあって、この「祭のあと」の静けさは、神と人との親密な関係を照らし出す。能舞台はただの芸能の場ではなく、暮らしと祈りが交差する風土そのものを象徴する空間だったのだ。夜が明け、日常が戻っても、あの老人のひとことは、神が確かにそこにいたという記憶を、風のように私たちの胸に残している。
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