太陽を抱いた世代―1950〜1970年代、石原慎太郎が映した戦後の野心と矛盾
石原慎太郎が登場したのは、戦後日本が焼け跡から立ち上がり、新しい価値観を模索していた1950年代半ばである。1956年に『太陽の季節』で芥川賞を受賞した彼は、敗戦を知らぬ第一世代=「太陽族」の象徴として一躍脚光を浴びた。肉体と衝動を肯定する若者たちの姿は、道徳や秩序を重んじる戦中派・戦後派の世代にとって衝撃的であり、同時に高度経済成長の原動力となる若いエネルギーの予兆でもあった。
1960年代に入ると、石原は作家としての枠を超え、映画・政治・思想の分野にも踏み込む。彼の兄・裕次郎と共に築いた「石原兄弟」のブランドは、戦後文化の華やかな象徴だったが、その背後には「力と個人」を信じる強い思想があった。彼の筆はしばしば挑発的で、『若者たち』『処刑の部屋』などでは社会規範を逸脱する若者の心理を描き、日本の近代文学に新しいアクティヴィズムの息吹をもたらした。
1970年代に入ると、学生運動が終焉を迎え、理想から現実へと舵を切る世代が増える中で、石原の論調は「行動する知性」へと変化する。国家・エネルギー・都市計画などへの発言を強め、『日本よ』『ノーと言える日本』に至る思想の萌芽がすでに見え始めていた。彼は政治を"文学の延長"としてとらえ、言葉で社会を変えるという姿勢を貫いた。
その後、政治家として東京都知事に就任し(1999〜2012年)、ディーゼル車排ガス規制や東京マラソン創設など、都市と環境の調和を意識した政策を打ち出す。この一連の活動は、戦後日本が抱えた"成長と責任"という命題への長い回答だった。石原慎太郎の軌跡は、1950年代の「太陽族」から、2000年代の都市再生まで、日本の変貌そのものを映し出している。
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