Friday, October 24, 2025

風を鎮める祈り――山梨・樫山の「風の三郎社」と風切り松(1950年代〜1970年代)

風を鎮める祈り――山梨・樫山の「風の三郎社」と風切り松(1950年代〜1970年代)
山梨県北杜市・清里の旧樫山集落は、冬の強風「八ヶ岳おろし」にさらされる風害地帯だった。村の北縁には赤松の列状防風林=風切り松が築かれ、物理的な「風除け」と、風を人格化して敬う信仰が重ねて営まれた。集落では雨を乞う八ヶ岳権現、晴天の祈願を日吉神社、暴風除けを「風の三郎社」と、三つの社を巡拝する「三社まいり」の作法が伝わり、現在も碑や案内にその痕跡が確認できる。

風の三郎社はのちに利根地区側へ移されたと伝わり、現地の記録や石碑がその存在を示す。地域の案内や地方紙の取材でも、「風の三郎」と刻まれた碑や小祠の位置が報告されており、観光化の中で"風切りの里"として語り継がれている。戦後〜高度成長期にかけての農地整理や景観改変が進むなかでも、風を"交渉相手"として鎮める祈りは続いた。

背景には地形風の厳しさがある。八ヶ岳南麓から甲府盆地へ吹き下ろす乾いた北西風は冬季に強まり、諏訪盆地周辺の風系や寒気流入の影響も受ける。地域の観察記や気象研究は、諏訪湖周辺の局地風・湖風の発達、八ヶ岳周辺での風の合流・強化を指摘しており、生活暦(剪定・播種・覆い掛け)や住居配置が"風読み"に合わせて組み立てられた。

樫山の実践は、他地域の風鎮信仰とも響き合う。富山・砺波の「不吹堂(ふかぬどう)」は暴風を鎮め五穀成就を祈る堂で、刻文にも"暴風鎮静"が明記される。北陸〜東国にかけては風祭や"風鎌"など、風害常襲地帯で多様な"風を鎮める作法"が見られ、樫山の風切り松と祠は、日本各地に広がる風鎮のネットワークの甲州型と言える。

要するに、1950〜70年代の樫山は、防風林(技術)と祠祭祀(祈り)を重ねることで、強風環境を"制御可能な相手"へと翻訳した。風害を恐れつつも共存を模索するこの二重構えが、風の三郎社の語りと風切り松の景観に凝縮している。

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