言葉の迷宮に遊ぶ知性―1960〜1970年代、丸谷才一が示した日本文学の成熟
丸谷才一(1925〜2012)は、戦後日本文学において"知性の文学"を体現した作家であり批評家である。彼の登場は、文学が政治的主張や感情表現から「言葉の構築」へと転換する時期と重なっていた。1960年代は安保闘争の熱気が去り、文学者が「何を語るか」より「どう語るか」に意識を向け始めた時代。丸谷はその転換の中心に立ち、言葉の構造そのものを遊びと批評の対象にした。
1968年に発表された『笹まくら』は、その代表作である。古典文学の言語感覚とモダンな文体を融合させ、東北を舞台にした"旅"を通して記憶・歴史・性を交錯させる実験的な作品だった。小説の語りが自己を観察し、構築しながら解体していく構造は、日本語のもつリズムと曖昧さを新しい美として提示した。彼にとって物語とは現実の模写ではなく、「言語の舞台」そのものだったのである。
また丸谷は批評家としても、『忠臣蔵とは何か』『文学のレッスン』などで、古典から近代までの文学を独自の視点で再解釈した。特に「文芸的教養」という概念を提唱し、文学を知的訓練として読む姿勢を広めたことは大きい。彼の文体にはユーモアと皮肉があり、論理性の中に柔らかな美意識が共存していた。
1970年代にはポストモダン的思考が広がり、丸谷の文学は"軽やかに構築された知"として再評価された。政治と文学が分離し、作家が"言葉の職人"として立ち返る時代に、丸谷は日本語という素材の多層性と豊かさを示した。彼の作品世界は、戦後民主主義の枠を越えて、"書くこと"そのものの歓びと自由を教えてくれる。
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