美川憲一 ― 哀愁と艶が交差する昭和歌謡の継承者 1960年代~1990年代
美川憲一(1946年長野県出身)は、1965年「だけど だけど だけど」でデビュー。高度経済成長期の夜の歓楽街文化が広がる中、都市の孤独をムード歌謡で表現した。転機は1966年の「柳ヶ瀬ブルース」で、歓楽街を舞台に哀愁を漂わせる独特の低音の歌唱で人気を博し、日本クラウンの看板歌手となる。1972年「さそり座の女」では挑発的な美学と中性的な魅力を前面に押し出し、当時のジェンダー規範を越えた革新的存在として注目された。森進一や青江三奈が写実的に人間の情念を描いたのに対し、美川は演劇的な構成で"哀しみ"を造形し、演歌と青春歌謡の境界を越えた第三のスタイルを確立した。1996年、淡谷のり子が自身の代表曲「雨のブルース」を美川に託したことは、戦前ブルースから現代歌謡への象徴的継承として語り�
�がれる。今も舞台で活躍し続ける美川は、昭和の哀愁と艶を体現する最後の歌い手として、日本歌謡史に確かな足跡を残している。
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