Friday, October 24, 2025

東京・1970年代 無償献血制度確立までの道のり(1970年代)

東京・1970年代 無償献血制度確立までの道のり(1970年代)
1970年代の東京では、経済的困窮者による売血が横行し、感染症の蔓延が深刻化していた。こうした社会問題に対し、日本赤十字社は1970年に「愛の献血運動」を展開し、一般市民へ無償献血の啓発を開始した。市民意識の変化により献血活動が全国に広がり、1974年には制度転換が進んだ。1978年の新法制定によって血液の安全性が法的に保証され、社会的な献血文化が定着した。無償献血制度の確立は、経済格差と公衆衛生の課題を乗り越えた市民協働の成果であり、日本の医療の信頼性を高める転機となった。

1950年代後半の日本では、民間の商業血液銀行が主流で、経済的困窮者が報酬を得るために売血することが一般的だった。この状況は衛生面で問題が多く、肝炎などの感染症が頻発した。1956年に「採血及び供血あっせん業取締法」が施行され、供血業者の取締りが始まったが、売血そのものは続いた。1964年にはアメリカ大使ライシャワーが輸血を通じて肝炎に感染した事件が大きな社会的反響を呼び、政府は同年8月、「輸血用血液は献血で確保する体制を確立する」と閣議決定を行った。これが「献血の日」の起源である。

この決定を契機に、民間血液銀行からの供給を減らし、日本赤十字社を中心とした無償献血への移行が進められた。1969年には売血による輸血用血液供給が事実上中止され、1970年前後には「愛の献血運動」が全国的に展開された。移動採血車や職域・学校単位での献血が普及し、特に東京では学生ボランティアや市民団体が中心となって啓発活動を展開した。1972年にはB型肝炎ウイルスのHBs抗原スクリーニングが導入され、血液の安全性向上が大きく前進した。

1974年には全国的に「献血100%体制」が確立し、血液供給が完全に無償献血に切り替わった。1978年にはR-PHA法による精度の高いHBs抗原検査が導入され、安全対策が一層強化された。1978年当時に「新法」と呼ばれたのは、血液事業に関する運用面の整備であり、包括的な法律としての整備は2002〜2004年の「安全な血液製剤の安定供給の確保等に関する法律(血液法)」により実現することになる。

このように1970年代の東京では、売血から献血への転換が医療の信頼を取り戻す基盤となり、社会的にも「与える医療」への意識が根づいた。1990年には残されていた有償採漿も中止され、血液事業は完全に無償献血に一本化された。市民・医療機関・行政が一体となって築いたこの流れは、日本の医療史における倫理的成熟の象徴であり、社会的連帯の象徴ともいえるものであった。

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