幻燈の線―和田誠が描いた1970年代の諧謔と知性(1970年代)
1970年代の日本は、高度経済成長のピークを過ぎ、オイルショックや公害問題といった陰りが見え始めた時代。消費社会の拡大とともに、テレビや雑誌などマスメディアが日常を覆うようになり、「情報過多」の気配が漂っていた。そうした時代の中で、和田誠の「幻燈」は、わずかな線と豊かな余白で、躁的な社会にじっと風を通すような静かな抵抗を示していた。
彼のイラストは、映画のポスター、雑誌の表紙、書籍の装丁と多岐にわたるが、「幻燈」連作では、日常の滑稽や風刺が、映画・音楽・文学などへの造詣を伴って巧みに描かれていた。少ない線数、抑制された色、そして余白の活用。これらは、賑やかで直接的な情報表現へのアンチテーゼとも受け取れる。和田は「イラストレーター」としての立ち位置を超え、視覚を通じた軽やかな批評家でもあった。
当時、「漫画」「イラスト」はまだ"娯楽の軽いもの"という見方が根強かったが、和田誠はその枠組みにとどまらず、"マンガ的でありながら文学的"な佇まいを獲得した。たとえば映画ポスターの制作背景にあった映画愛、ジャズレコードのジャケットに感じられる音楽的な余韻、書籍挿絵や装丁に潜む言葉と絵の対話。これらの経験が「幻燈」にも宿っており、連作には知的ユーモアと観察眼が融合している。
さらに、2021年以降に開催された展覧会「和田誠展」などで示されたように、彼の膨大な作品群は、挿絵・装丁・映画監督・グラフィックデザイナーという多面的な仕事を通じ、「好きなことを好きなだけ」追求する姿勢を示した。(bluesheep.jp)
「幻燈」は、喧騒を背にした時代の書き割りのようでもあり、日常の裏側にある矛盾を軽く打つ鏡でもあった。滑稽でありながら、意味深く。単なる絵ではなく、視線そのものが語る芸術であった。和田誠という作家の眼差しは、雑誌文化が活況を呈した1970年代の「あそび場」に於いて、自らの立ち位置を確かに刻んでいた。
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