Sunday, October 19, 2025

視覚で時代を変える―1970〜1980年代、石岡瑛子が押し上げた日本デザインの国際水準(1970〜1980年代)

視覚で時代を変える―1970〜1980年代、石岡瑛子が押し上げた日本デザインの国際水準(1970〜1980年代)

石岡瑛子(1938–2012)は、広告・舞台・映画を横断するアートディレクターとして、1970〜80年代の日本が"消費文化の成熟"へ向かううねりの中で、ビジュアル表現を社会的メッセージへと引き上げた中心人物でした。彼女は1961年に資生堂の広告部でキャリアを開始し、若くして国内の最高峰広告賞を受けるなど頭角を現します。のちにフリーへ転じても、女性像の固定観念を覆す強靭なビジュアルと言葉で、広告を「文化的声明」に変えていきました。

70年代の東京は、高度成長の終盤で「量から質へ」価値観が移る時代。石岡は資生堂のポスター群(例:1966年の前田美波里を起用した仕事)で、清楚一辺倒だった"日本の美"を大胆に再定義します。写真・タイポ・コピーを一枚の"事件"にする構成は、商業とアートの境界を曖昧にし、のちの国際的評価の土台になりました。

同時期、都市文化の発信拠点となったPARCOでは、石岡がアートディレクションを担い、フェミニズム的含意を帯びた挑発的キャンペーンを連発。「Girls be ambitious」「Can West wear East?」などのシリーズは、東西の美意識を衝突させ、身体・性・消費をめぐる新しい価値観を可視化します。1979年、フェイ・ダナウェイを起用した《Can West wear East?》ポスターは、三宅一生の衣装とともに"東をまとう西洋"を象徴し、世界に向けた東京発ビジュアルの到達点となりました。

石岡の表現は、70年代のフェミニズムや多文化主義の高まりと呼応しつつ、80年代には映画・舞台へ拡張されます。ポール・シュレイダー監督『Mishima: A Life in Four Chapters』(1985)ではプロダクション・デザインを担当。抽象舞台と色彩設計で三島由紀夫の内面世界を造形化し、フィリップ・グラスの音楽と並んで作品の美学を決定づけました。

国際的評価はさらに高まり、フランシス・F・コッポラ『ドラキュラ』(1992)では衣装デザインでアカデミー賞を受賞。音楽や舞台にも及ぶ越境性は、グラミー受賞(マイルス・デイヴィス『Tutu』のアートワーク)や『M. Butterfly』でのトニー賞候補など、多領域で確認できます。これらの評価は"日本の広告出身の個人"が世界のメインストリームで通用することを示し、国内の若いクリエイターに道を拓きました。

美術館・機関の再検証も進みます。MoMAは《Power Now》(1970)を収蔵し、東京都現代美術館は初期〜80年代のグラフィックを総覧する大規模展を開催。本人公式サイトも、東京期の基礎体力が後年の舞台・映画へ連なることを強調しています。広告から始まった「視覚で社会を動かす」思想が、越境的な物語装置へと育ったことを裏付ける動きです。

要するに、石岡瑛子は"商品を売る絵"を超えて、時代の価値観を更新する「視覚言語」を作った人でした。70年代の都市消費、女性の主体化、東西美学の再配置――そのすべてが、彼女の強靭なイメージ設計の中で一つの時代精神となって結晶したのです。

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