Friday, October 3, 2025

赤塚不二夫の雑誌奮闘記―1970年代の出版界を背景に

赤塚不二夫の雑誌奮闘記―1970年代の出版界を背景に

1970年代初頭、日本の出版界は高度経済成長を追い風に「大資本による大量生産」の体制が固まりつつありました。少年マガジンや少年ジャンプといった週刊誌が部数競争を繰り広げ、売れ行き至上主義が強まるなかで、作家の創造力よりも商業的な連載企画や有名作家の起用が重視される傾向にありました。そんな中で赤塚不二夫は、自ら責任編集を務めた『まんがNo.1』を創刊します。

編集部はわずか三人、資金も乏しく、月刊での刊行はすぐに行き詰まり、やむなく季刊に変更せざるを得ませんでした。それでも赤塚は、大手出版社が儲けをビルや土地に投資する現実を批判し、「儲けはすべて本に還元すべきだ」と理想を掲げます。オールカラー雑誌の構想まで語り、赤字続きでも創作の場を維持しようとしたのです。この姿勢は、当時の若手漫画家や新しい表現を模索する世代にとって、一種の希望となりました。

また彼は、札幌の空港で自分の雑誌が偶然売れているのを目撃し、ひとりのデザイナー風の男性が購入する姿に感慨を覚えたと語っています。それは大量消費の波に押される中でも、確かに誰かが自分の雑誌を手に取っているという実感であり、商業主義一辺倒の時代にあって小さな抵抗の証でもありました。

No comments:

Post a Comment