五街道雲助の奮闘 ― 1970年代の落語修業と芸の根を育てる試み
五街道雲助(一九四八年生まれ)は、現代では人間国宝に列せられる名人だが、若手時代は苦労の連続であった。特に二ツ目時代の修業は彼の芸の方向性を決定づけたものであり、師系である志ん生や馬生からは「腹芸」の重要性を学んだ。腹芸とは、単なる言葉や技術ではなく、体の奥底からにじみ出る力で観客を引き込むもので、舞台上の存在感そのものを形づくる芸であった。雲助はこれを自らの課題として体得しようと、日々奮闘を続けた。
1970年代の日本は高度経済成長が一段落し、娯楽の主役がテレビへと移行した時代である。寄席は観客動員に苦しみ、若手落語家にとって修業の場が減少する厳しい環境だった。そのような状況でも雲助は高座を重ね、古典落語の大家・三遊亭円朝以来の語りの感触を守り抜こうと努力した。単なる型の踏襲ではなく、観客に実感を届けることを信条とし、芸を根本から育てることに心血を注いだのである。
一方で、同時代の立川談志のように既成の枠を壊そうとする動きも盛んであった。しかし雲助は革新に急がず、古典の重みを身体に染み込ませる道を選んだ。その姿勢は地味に見えても、やがて円朝作品の復活公演や古典落語の緻密な再現に繋がり、芸の根を支える存在として評価されるようになった。
雲助の二ツ目時代の奮闘は、時代の荒波に抗いながら伝統を守り、芸の真髄を体得しようとした世代の象徴である。芸を根から育てるという信念は、寄席文化の危機に直面した落語界において強い矜持を示すものであり、今なお落語界に深い示唆を与えている。
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